市川右團次・右近親子の『連獅子』

2019年(令和元年)に、日本で開催された第9回「ラグビーワールドカップ」。アジア初の開催に加え、日本代表の大躍進もあり、非常に大きな話題を呼びましたが、この開会式において、歌舞伎界屈指の人気舞踊「連獅子」(れんじし)の勇壮な毛振りを披露したのが、歌舞伎界で踊りの名手としても高い評価を得ている歌舞伎役者の三代目「市川右團次」(いちかわうだんじ:1963年[昭和38年]生まれ)さんと、その息子で二代目「市川右近」(いちかわうこん:2010年[平成22年]生まれ)さんです。歌舞伎役者としてはちょっと変わった経歴を持つこの親子のエピソードをご紹介します。

三代目市川右團次さんのちょっと変わった経歴

三代目市川右團次
三代目市川右團次さん

三代目市川右團次さんは、テレビドラマ「陸王」(りくおう)で重要な役どころのシューフィッターである村野尊彦(むらのたかひこ)を演じた俳優として、顔を覚えた方もいるのではないでしょうか。前名の市川右近の時代は、「澤瀉屋」(おもだかや)を屋号とする「市川猿之助」(いちかわえんのすけ)一門に属し、2017年(平成29年)の三代目市川右團次を襲名により、市川右團次家(高嶋屋[たかしまや])となっています。

市川右團次さんは大阪府出身で、父は歌舞伎役者ではなく、日本舞踊飛鳥流家元の「飛鳥峯王」(あすかみねお)。実はその父も、日本舞踊の家に生まれたわけではなく、商家の四男で、商人になるために大学に進学し、その後かくし芸として日本舞踊を習い始めたところ、それにはまり、結果仕事にしてしまったという経歴の持ち主です。また、母も「飛鳥珠王」(あすかたまお:二代目飛鳥流家元)さんという日本舞踏家。

その両親のもと、三味線の楽曲が響き、足拍子で家中が振動する環境の中で育った市川右團次さんは、幼少時から音楽がかかると自然と踊り出す子どもだったそう。

では、どうして歌舞伎の世界へ足を踏み入れることになったのでしょう?きっかけは、ある意味、スカウトです。

父に連れられて出演した日本舞踊の発表会で、歌舞伎の子役を探していた松竹の演劇プロデューサーに見初められ、1972年(昭和47年)、8歳のときに京都の南座で歌舞伎の初舞台を踏みます。歌舞伎への思いが高まったのは、その初舞台で、のちに師匠となる三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁[いちかわえんおう])さんの芝居を観て「歌舞伎のファンタスティックな一面に魅了されたから」。

小学校までは大阪の両親のもとで過ごしますが、市川猿之助家の関西公演では必ずと言って良いほど子役として出演。その後、本格的に歌舞伎役者の道に進むため、中学入学と同時に単身上京。慶應義塾中等部に入学するとともに、三代目市川猿之助さんの部屋子となり、初代「市川右近」を名乗ります。「右近」は、実は市川右團次さんの本名(武田右近)。

そんな市川右團次さんは、東京新聞「家族のこと話そう」の中で、「自分から東京に行きたいと言ったものの、まだ子ども。いざ出ていくと寂しくてね。歌舞伎役者としてやっていけるのか?将来への不安の中で過ごした中学時代だった」と当時を振り返り、今の自分がいるのは「父が僕を大冒険に出してくれたから」という印象的な言葉で語っています。

市川右團次さんは日本舞踊飛鳥流宗家の長男であり、本来なら跡を継ぐべき立場。しかし、市川右團次さんが中学3年生のとき、彼の父は現・市川猿翁(当時市川猿之助)さんから「将来的には大阪へ連れて帰られますか?」と尋ねられ、「一生、お預けするつもり」と答えます。市川右團次さんいわく、これが心を決め大冒険に踏み出す始まりだったと。

現・市川猿翁さんは、「スーパー歌舞伎」をはじめとする歌舞伎の新ジャンルを生み出した人物。一方、父の飛鳥峯王も、日本舞踊に縁もゆかりもない中から舞踊団を立ち上げ、日本舞踊の世界に新機軸を打ち立てた人物です。ジャンルは違えども、ともにパイオニア精神を持ち歩んできた2人には相通じるものがあり、「父は、この師匠のもとなら」と思ったのではないかと市川右團次さんは振り返るのです。

その後、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、市川猿之助家のスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」などでも中心的な役者として活躍。2017年(平成29年)、上方歌舞伎の名跡で81年もの長きにわたり空席となっていた市川右團次を襲名し、三代目市川右團次となりました。

現在も、古典歌舞伎から新作歌舞伎まで幅広く演じ分け、踊りの名手としても歌舞伎ファンを魅了しています。

市川右團次さん・市川右近さん親子で同時襲名

2017年(平成29年)の三代目市川右團次の襲名では、同時に、その息子の「武田タケル」さんが二代目市川右近を襲名し、歌舞伎の初舞台を踏んでいます。「タケル」という名は、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」から命名されたもの。

屋号を高嶋屋とする市川右團次は、初代、二代目ともに、早替わりなどの「ケレン」(観客の意表をついたり驚かせたりする歌舞伎の演出)を得意とし、上方歌舞伎に功績を残した歌舞伎役者の名跡。

三代目市川右團次さんは襲名披露において、自身がこの名跡を継ぐことになったのは、師匠の現・市川猿翁さんのもとでケレンの妙味の世界を培ったこと、そして関西出身であるという2つの縁によるものだと考え、感謝していると述べています。そして、この襲名により、澤瀉屋から高嶋屋へと屋号が変わるものの、澤瀉屋から離れることはないとも。

一方、三代目市川右團次さん・二代目市川右近さん親子の襲名にあたり、師匠の二代目市川猿翁さんからのお祝いメッセージには、「この機会にさらに大きく、高く飛べ!」といったエールの言葉が入っており、その言葉を指針に、父が送り出してくれた三代目市川右團次さんの大冒険の旅は、さらに面白くなっていきそうです。

子役として幅広く活躍する二代目市川右近さん

二代目市川右近
二代目市川右近さん

そして、これからの活躍が父である三代目市川右團次さんと同じくらい楽しみなのが、二代目市川右近さん。

踊りの名手である父とともに、2019年(令和元年)の「ラグビーワールドカップ」では、「獅子は我が子を谷底に落とし、這い上がって来た子だけを育てる」という伝説をもとにした、親子獅子が舞う歌舞伎界屈指の人気舞踊「連獅子」を披露。

また、同年夏にお茶の間の話題を一気にさらったテレビドラマ「ノーサイド・ゲーム」に、主演の「大泉洋」(おおいずみよう)さんが演じた君島GMの息子の君島博人役としても出演。このときの母役は、十代目「松本幸四郎」(まつもとこうしろう)さんの妹の「松たか子」さんです。

このドラマは、順風満なサラリーマン生活を送っていた君嶋が、理不尽な左遷により企業のラグビーチームのマネージャーを兼務することになり、そこで奮闘するというストーリー。

二代目市川右近さんが演じた息子・君島博人を中心にした回では、君島博人の涙の熱演により、「あの子役は誰?」と大きな話題になりました。父譲りのキリッとした顔立ちも評判で、さらに今後、歌舞伎以外での活躍も増えそうです。

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