宮本武蔵に勝った男がいた!

「宮本武蔵」(みやもとむさし)と言えば、言わずと知れた日本最強クラスの剣術家。一説には、生涯において、真剣勝負ではただの1度も負けることはなかったとされています。
そんな伝説の剣豪に勝った男がいました。男の名は「夢想権之助」(むそうごんのすけ)。今回は、打倒・武蔵に生涯をかけて新たな武術を創り上げた、ひとりの武芸者に迫ります。

武蔵、敗れたり!

宮本武蔵は、著書「五輪書」(ごりんのしょ)の中で、生涯60数試合に及ぶ真剣勝負で負けたことがないと述べていることでも知られています。

夢想権之助

夢想権之助

そんな稀代の剣豪に土を付けたと言われているのは、長さ4尺(約120cm)ほどの棒を自在に操る「杖術」(じょうじゅつ)という聞きなれない武術の使い手でした。それが夢想権之助

のちに日本最大の杖術の流派となる「神道夢想流杖術」(しんとうむそうりゅうじょうじゅつ)を創設した人物です。

杖術の伝書には、このような言葉が記されています。

「突けば槍(やり) 払えば薙刀(なぎなた) 持たば太刀(たち) 杖はかくにも外れざりけり」

すなわち、樫の木でできた棒は、あるときは槍に、またあるときは薙刀に、さらには太刀の役目も果たすなど、使い手の意思によって、様々な武器へと変化するのです。そのため、相手は槍、薙刀、太刀の使い手と勝負をしている感覚に陥るでしょう。

武蔵は2振の日本刀(刀剣)を自在に使いこなす「二刀流」の使い手でしたが、権之助の杖術は、1本の杖をまるで3種類の武器を持っているかのように扱う「三刀流」とも言うべきもの。武蔵の二刀流よりも、さらに上を行っていたのかもしれません。

この戦いについては、引き分けだったという言い伝えもあります。

しかし、武蔵が勝ったという伝承は見当たりません。このことから考えても、権之助と武蔵の試合は、武蔵にとって非常に厳しいものであったということは確かでしょう。

打倒・武蔵への道

権之助にとって、打倒・武蔵は宿願でもありました。

出発点は剣術の試合において、武蔵の前に一敗地にまみれたこと。両者が最初に相まみえたのは、播州・明石。

当時「神道流」を極め、「一の太刀」(いちのたち)の奥義を修得したほどの腕前を誇っていた権之助は、開始当初から積極的に攻め手を繰り出すなど、稀代の剣豪と対峙しても臆するところはありません。

しかし、「二天一流」(にてんいちりゅう:武蔵が完成させた兵法)の防御技「十字留」(じゅうじどめ)の前に、前へ進むことも後ろに退くこともできなくなり、最後は眉間を打たれて敗北するという完敗でした。

十字留

十字留

「天下一の無法者」これが権之助に対する武蔵の評価でした。

仏教の修行を行なうなど、剣術だけでなく自らの心も鍛えたことで、日本屈指の兵法者となった武蔵。その目に映る権之助には、若く勢いがあり、剣術の技量にも見るべきものはあるものの、心の部分にある弱さが見て取れたのかもしれません。

天下の剣豪に自信を打ち砕かれた若き剣士は、強さを求めて武者修行の旅に出ます。目的はただひとつ、打倒・武蔵。諸国を巡って修行を重ねる権之助の旅は、数年間に及び、ついに「運命の地」へとたどり着きました。

それが「筑前国」(ちくぜんのくに:現在の福岡県)の「宝満山」(ほうまんざん)にある「竈門神社」(かまどじんじゃ)です。

丸木をもって水月を知れ

宝満山で参籠(さんろう:祈願のため、寺社などに一定期間籠ること)して1ヵ月余。

ついに、「そのとき」が訪れます。ある夜、就寝した権之助の夢の中に童子が現れ、こう言ったのです。

「丸木をもって水月を知れ」

この言葉は、丸木(丸い木の棒)で「水月」(すいげつ:みぞおちの周辺)と呼ばれている急所を狙いなさいという啓示でした。

これを受けた権之助は、長さ4尺2寸1分(約128cm)、直径8分(約2.4cm)の直杖を手に、武蔵の十字留を打ち破るべく試行錯誤を繰り返します。そうしてたどり着いた結論が、直杖を槍、薙刀、太刀として変幻自在に操ること。権之助が「武芸百般」(ぶげいひゃっぱん:あらゆる武芸のこと)に通じていたことから、これらの動きを組み合わせて新たな武術を創り出したのです。

杖術のターゲットは剣術ただひとつ。

剣術を含めたあらゆる武術の技術を組み合わせて相手の剣を封じる、まさに剣術殺しの武術でした。その象徴が杖で相手の日本刀(刀剣)の「棟」を滑らせるようにして攻撃を加えたり、日本刀(刀剣)を握る相手の手を打ち付けたりする技術です。

剣術家にとって、このような攻撃を受けることはまさに想定外の事態。権之助自身が剣術の達人でもあり、剣術を使う相手が、どのようなことをされたら嫌なのかを知り尽くしていたからこそ浮かんだ発想だと言えるでしょう。

裏を返せば、このような「裏技」的な物を繰り出してでも武蔵に勝ちたいという、権之助の執念の表れでもあったのです。

杖術の本質

佐々木小次郎

佐々木小次郎

武蔵と「佐々木小次郎」「巌流島の戦い」(がんりゅうじまのたたかい)においては、武蔵が小次郎を撲殺したと言われていますが、権之助と武蔵の再戦では、両者が負傷するという事態にはならなかったと言われています。

実は、ここにこそ杖術の本質があったのかもしれません。

「痕(きず)付けず人をこらしていましむる、教えは杖の外(ほか)にやはある」

杖術の伝書に記されている言葉にもそれが表れています。

すなわち杖術において目指すところは、真剣勝負であっても相手を殺傷することなく制圧すること。積極的に攻撃を仕掛けるのではなく、相手の出方に自在に対応して技を繰り出す「後の先」(ごのせん)こそが極意なのです。

それは稽古にも表れています。杖術においては、攻撃と防御を組み合わせた形(かた)を反復して習得すること。相手を打ちのめすのではなく、相手の攻撃を防御して対応するための技を磨く点で、杖術は「形武道」(かたぶどう)に分類することができます。変幻自在、多種多様な技を繰り出すという技術面と、人を決して傷付けないという精神面の融合こそが杖術の本質。

そして形稽古は、創始者の夢想権之助以来、受け継がれてきた技を再現するための大切な手段。これを反復継続して身に付けたとき、技術だけでなく相手を傷付けずに勝つという杖術の精神性も継承することができるのです。

現代に受け継がれる杖術

打倒・武蔵という大願を成就した権之助は、そののち、「筑前国」の「黒田藩」(福岡藩)に迎えられ、門外不出の武術として藩士たちに伝承されました。

なかでも重宝された技術が日本刀(刀剣)を手にして暴れている相手を取り押さえる「捕手」(とりて)。相手を傷付けることなく制圧するという杖術の極意はこのような場面でこそ、存在感を発揮していたのです。

このエッセンスはその後、警察官必須の体術である「逮捕術」にも取り入れられ、現代にも脈々と受け継がれています。

現在、杖術はその一部の技術について、「剣道」と融合した「杖道」(じょうどう)に形を変え、「全日本剣道連盟」の傘下で、老若男女を問わず広く普及しています。

杖道

杖道

他方、権之助を開祖とする神道夢想流杖術についても、「古武道」(こぶどう:明治維新以前から行なわれていた伝統的な武術)として存続。演武などを通して往時の姿を垣間見ることができます。武蔵に勝った男の技と精神は、時代を超え、現代に受け継がれているのです。