日本ではじめてチョコレートを食べた武将は?

2月14日は、バレンタインデーです。日本では「女性から男性にチョコレートを贈る日」とされていた時期もありましたが、近年では単に「チョコレートを食べる日」と広義の解釈をする人もいます。そんな皆から愛されている「チョコレート」。はじめて口にした日本人は、江戸時代のあの武将でした!

慶長遣欧使節で食す!

チョコレートの語源は、スペイン語「chocolate」(チョコラテ)に由来します。

チョコレート(カカオ豆)は、1502年(文亀2年)にイタリア生まれの航海者「コロンブス」が中央アメリカ島部で発見し、スペイン王国に飲み物として広まりました。

のちに、スペイン王国の王女とフランス王国の「ルイ13世」が結婚し、フランス王国の上流階級の中でチョコレートが伝わり、17世紀には贅沢品としてヨーロッパ全域に広まったのです。

そんなチョコレートを日本ではじめて口にした武将は「支倉常長」(はせくらつねなが)と言われています。

支倉常長は、江戸時代初期に活躍した仙台藩士。幼少の頃から「伊達政宗」に仕え、1592年(文禄元年)「文禄の役」(朝鮮出兵)で武功を挙げました。

そして、1613年(慶長18年)、伊達政宗より「慶長遣欧使節」(けいちょうけんおうしせつ)に抜擢。スペイン・ローマと通商交渉を行なうために使節大使として派遣されたのです。

その際、洗礼を受けカトリック教徒に。チョコレートを「薬として口にした」と伝えられています。

実は、チョコレートが今のように固形になったのは、1840年(天保11年)以降。それまでは、ココア(ホットチョコレート)のように飲まれていました。

そんな常長ですが、政宗より託された「通商交渉」には失敗。1620年(元和6年)に帰国しますが、その頃時代は「鎖国」と「禁教」。常長は不遇の晩年を送り、2年後の1622年(元和8年)に死去します。

岩倉具視使節団で食す!

そんなわけで、常長の死と共に、チョコラテは世には知られませんでした。

そののち、1797年(寛政9年)長崎にて、遊女がオランダ人から「しょこらあと」を貰った記録簿がありますが、日本は1854年(嘉永7年)まで鎖国政策。

幕末に「尊皇攘夷運動」が起こり、明治時代になってやっと、禁教令が撤廃され、また外国に学ぶ政策が取られるようになります。

それでは、明治時代になってはじめてチョコレートを食べた日本人とは、誰なのでしょうか。

岩倉具視

岩倉具視

それは「岩倉具視」(いわくらともみ)。1985年(昭和60年)頃まで流通していた500円札に肖像画が描かれていた人物なので馴染み深い人も多いでしょう。

そんな岩倉具視とは、何をした人なのか、ご存知でしょうか。岩倉具視は、武士ではなく、公卿出身の政治家です。

公武合体を唱え、薩摩藩・長州藩の倒幕派と手を結んで王政復古を実現し、新政府の中枢(右大臣)に座った凄腕の人物。

岩倉は、まず外交問題に着手します。諸外国との不平等条約改正と文化を摂取するため、1871年(明治4年)「岩倉具視使節団」を結成し、欧米を訪問。

その際、1873年(明治6年)にフランスを訪れたときに「チョコレート工場」を見学し、チョコレートを食べたのです!

チョコ発売開始「空白の6年間」とは?

1873年(明治6年)にチョコレートを味わった岩倉ですが、チョコレートがはじめて発売されたのは、5年後の1878年(明治11年)11月。

現在の東京都両国若松町にある「風月堂」においてでした。実は、その間、以下のこんなすごい事件が起きているのです。

1873年(明治6年)「明治6年の政変」(征韓論敗れる)
1874年(明治7年)「佐賀の乱」(江藤新平、刑死)
1876年(明治9年)「廃刀令」
1877年2月(明治10年)「西南戦争」が勃発(9月、西郷隆盛戦死)
1878年5月(明治11年)「紀尾井坂の変」(大久保利通暗殺)

大久保利通

大久保利通

岩倉がすごいのは、何と言っても「征韓論」を跳ね除けたこと。

征韓論とは、西郷隆盛や板垣退助、江藤新平らが唱えたもので、朝鮮に対して開国を迫り、朝鮮が拒否した場合には武力行使も辞さない強硬論のことです。

当時の太政大臣「三条実篤」(公卿出身)は、一度は西郷の朝鮮行きを認めますが、反対する大久保などからの重圧に耐え切れず、倒れてしまいます。

そこへ岩倉が太政大臣代理に就き、西郷の朝鮮派遣を中止。征韓派は敗れて政府を去ることに。これを、明治6年の政変と言います。

さらに、翌年、佐賀の乱が起こり、敗れた江藤新平は刑死。2年後には廃刀令が出され、武士の誇りである刀剣・日本刀が没収され、その翌年、あの西南戦争が起こりました。

「公卿」と言えば、武士ではなくお公家様。一般的には、倒れてしまった三条実篤のように、とてもか弱いイメージです。強くて怖い西郷相手に、征韓論を一蹴するなんて。

しかも全武士相手に廃刀令を行なうなんて。岩倉はなぜそんな強行策を行なえたのでしょうか。筆者はそれが「チョコレート効果」だったのではないのかと仮定するのです!

チョコレートを食べたのは誰だ?

チョコレートの効果とは、具体的にはどういうものなのでしょうか。

1878年(明治11年)11月「かなよみ新聞」に掲載された風月堂の広告には「此ハ(カウヒー)の類にして頗る(すこぶる)芳味ある滋養物の菓子なり」と書かれていました。

現在では、チョコレートに含まれる「カカオポリフェノール」と言う成分は、血圧低下、動脈硬化予防、HDL(善玉)コレステロール上昇、認知症予防に繫がることが分かっており、「テオブロミン」と言う成分は大脳を刺激して気力をアップ。心身の安らぎをもたらす、幸せホルモンがでるなどとも言われています。

ここで歴史を振り返ってみましょう。岩倉具視使節団に選ばれたのは、岩倉、大久保ら107名。岩倉が赴いたのは、アメリカ、フランス。大久保はイギリス、ドイツ。西郷は日本にいました。

西郷隆盛

西郷隆盛

つまり、何を言いたいのかと言えば、大久保も西郷もチョコレートを食べていないのです。

公卿なのに武士にも勝る、強気の岩倉。きっと岩倉は、武士にはチョコレートのことをひた隠し、自分だけチョコレートを食べて、カカオポリフェノールやテオブロミンの効果で高揚し「もう武力の時代ではない。武士は怖くない。欧米のこんなにおいしい食べ物を知っている自分は、武士よりも上だ」と、ほくそ笑んでいたのではないでしょうか。

チョコレートが好きな筆者としては、きっとそうなのではないかと強く思ってしまうのです。

なぜなら、こんなに甘くておいしくて美しいお菓子は、他にないのですから!

もし大久保や西郷がチョコレートを食べていたら、こんなにスゴイ物を作る欧米の凄さを胃袋レベルで認識できたはず。

そして、幸せホルモンが沸いてきて、同胞で争っている場合ではないことを理解し、明治6年の政変での決裂や、西郷が亡き者となる西南戦争までには陥らず、大久保だって暗殺されなくて済んだのではないでしょうか。

大久保や西郷が、このおいしいチョコレートを1粒でも食べていたならば。この季節になるたびに、志半ばで散っていった英雄を偲び、あのふたりが仲良く生きていたら、歴史は少し違っていたのではないかと考えないではいられなくなるのです。

※岩倉具視使節団に選ばれた大久保利通はチョコレートを食べたとの記載があるなど、諸説あります。