柔道だけじゃなかった!嘉納治五郎と日本刀の関係

「柔道の父」として知られ、また、東洋人初のIOC(国際オリンピック委員会)委員として日本でのオリンピックの普及に尽力した「嘉納治五郎」(かのうじごろう)。そんな嘉納治五郎は、スポーツだけでなく、刀剣・日本刀を愛する一面も持っていました。嘉納家には、代々「守り刀」として伝わる脇指があり、嘉納治五郎も父の「嘉納治朗作希芝」(かのうじろさくまれしば)から譲り受けています。現在は、嘉納治五郎が創設した柔道の総本山「講道館」(こうどうかん)が所蔵。刀銘は「備州長船盛重」(びしゅうおさふねもりしげ)と切られています。講道館には、もう1振、嘉納治五郎が大切にしていた打刀(うちがたな)も所蔵されており、この刀銘は、「康継以南蛮」(やすつぐもってなんばん)。嘉納治五郎が愛した刀剣・日本刀とは、どのような名刀なのでしょうか。制作者である刀工の背景も含めてご紹介。さらに、柔道と刀剣・日本刀との関係についても触れていきたいと思います。

嘉納家を見守る脇指「備州長船盛重」


備州長船盛重

備州長船盛重

脇指の銘にある 「備州長船」とは、 備前国(別名・備州:現在の 岡山県)の刀工集団のうち、鎌倉時代後期以降に興った一派のこと。備前国邑久郡長船(びぜんのくにおくぐんおさふね:現在の岡山県 瀬戸内市長船町)を拠点としていたため、この名称で呼ばれています。

備前国は、砂鉄、水、木炭など、作刀に不可欠な資源に恵まれた土地であり、長船派は備前刀工の中核として、鎌倉時代から戦国時代にかけての長きに亘り盛隆を極めました。数多くの名刀工を生み出したことから、備前長船の刀剣・日本刀は「長船物」(おさふねもの)として高く評価されています。

この脇指の制作者である「盛重」は、かつては山城国(現在の京都府)大宮から移ってきた大宮系と見られていましたが、最近の研究では、時代や地鉄、銘を切る鏨(たがね)の入れ方などから長船正系であり、「備前盛光」(びぜんもりみつ)の嫡子、またはその一族と考えられています。盛重を名乗る刀工は、初代から6代続きました。

盛重の作品に共通する特徴として、刃文は「互の目」(ぐのめ)乱れに丁子足入り、名刀の風情があり、愛好家好みであると言われています。嘉納治五郎の愛刀も、脇指ながら醸し出される風格は十分です。

刀工界を牽引していた長船派ですが、1590年(天正18年)8月、地元を流れる吉井川の大氾濫により、長船一派は壊滅的な被害を受け、衰退してしまいます。そのため、現存する備前長船の刀剣・日本刀は、たいへん貴重な作品です。

外国産の鉄を用いた「康継以南蛮」


康継以南蛮

康継以南蛮

「康継以南蛮」の刀銘を持つ打刀も、嘉納治五郎が大切にしていた作品です。

初代「康継」は、1596年(慶長元年)からの慶長年間に活躍した刀工で、「徳川家康」の次男であり、越前国(現在の福井県)「北ノ荘藩」(きたのしょうはん)の藩主「結城秀康」(ゆうきひでやす)に仕えていました。

秀康は、康継の腕前を認め、家康と2代将軍「秀忠」に推挙。康継は江戸へ出て、徳川家のお抱え鍛冶となります。家康からは「康」の一文字を賜って、このとき「康継」と改銘したとのことです。

江戸で作刀に携わった康継は、そのあと、明治維新まで11代続き、繁栄しました。

康継の作風は、美濃国(現在の岐阜県)「関伝」風の板目肌。刃文は、ゆったりと波が寄せるような「湾れ」(のたれ)に互の目が交じり、数本の白い筋に見える「砂流し」がかかっています。

また、外国からの輸入鉄鋼である「南蛮鉄」を初めて用いた刀工だと言われ、作品には「以南蛮」の銘が添えられました。

当時、誰も考え付かなかった外国産の鉄鋼を使う発想は、新しい物事に果敢に挑んでいった嘉納治五郎にも通じる精神が感じられます。

華美な装飾のない重厚な「拵」(こしらえ:日本刀[刀剣]の外装のこと)も、「柔の道」を極めた嘉納治五郎の堅固な意志に適っているようです。

嘉納治五郎師範 没後80年式典・偲ぶ会
「嘉納治五郎師範 没後80年式典・偲ぶ会」

柔道形の競技大会でも日本刀が登場

柔道と刀剣・日本刀。どちらも武道をルーツに持つだけでなく、実は深いかかわりがあります。

極の形・切下(きりおろし)

極の形・切下(きりおろし)

柔道の形(かた)のひとつ 「極の形」(きめのかた)は、真剣勝負の形とも言われる20本があり、打刀(うちがたな)や 短刀を持つ相手との立ち合いを学ぶものです。

かつて、この形を披露する際、木剣ではなく刀剣・日本刀で行なわれた時代もあったとのこと。1929年(昭和4年)の天覧武道大会では、優勝者へ刀剣・日本刀が授与されたそうです。

柔道の起源である「柔術」は、もともと戦場で用いる「組討」(くみうち)の技術でした。

組討とは、刀剣・日本刀を使っての戦いに続く格闘で、敵将を倒して組み伏せ、その首を取ることです。さらに、素手での戦い以外にも、脇指や短刀を使う護身術も含まれていました。戦場での実戦向けに発展した武術ですから、刀剣・日本刀と深くつながっているのも不思議ではありません。

嘉納治五郎は、この柔術を理論的に系統立てて、より洗練されたスポーツとしての柔道へと昇華させました。しかし、極の形などを見れば、柔道の中には武道の精神がしっかりと息づいていると感じられます。

刀剣・日本刀を愛した嘉納治五郎は、「武士道」を礎(いしずえ)としながら、他者への尊敬と思いやりを大切にする「自他共栄」の理念を提唱したのではないでしょうか。

柔道チャンネル
柔道の情報総合サイト 柔道チャンネル