戦国武将のグルメ事情

「腹が減っては戦はできぬ」とは、うまく言ったものです。なぜなら、おいしい食事のあとなら「よし、頑張ろう」と思えるから。お腹が空いていては、何だかやる気になれませんよね?この言葉が示している通り、戦国時代の武将や兵士にとっては、食事が大切なエネルギー補給であったことが分かります。では、彼らはいったい何を食べていたのでしょう。

三大英傑の好物とは?

全国統一まであと一歩のところで、「明智光秀」の謀反に倒れた「織田信長」。短期間に各地の大名を攻略した、そのエネルギー源はなんだったのでしょうか。

実は、信長の好物は「大根の味噌漬け」と言われています。お肉やお魚などたんぱく質たっぷりの物かと思いきや、意外に地味。

大根の味噌漬けは、今でも作られています。長さ4~5cmに切った大根を、さらに縦長に8分の1にし、天日干しして塩漬け、そのあと、味噌に漬け込むというのが作り方。切り干し大根の太めバージョンを塩漬け・味噌漬けするイメージです。

天日干しすることで、水分が減り、カルシウム、鉄分が増加。食物繊維もたっぷりの栄養食品に変化します。

戦国時代から江戸時代初頭、信長の出身地・尾張は日本一の大根の生産地だったとのことですから、保存もできて携帯にも便利なこの食べ方は日常的だったのかもしれません。

一方で、普段の食事は、味付けの濃い物が好みだったそうです。京都で饗応(きょうおう:酒や食事でもてなすこと)を受けた際、料理が京風の薄い味付けだったため、信長は怒ってしまい、濃い味付けに作り直させたエピソードが残っています。

また、ある年のお正月、箸が片方しかない膳が誤って信長の前に置かれてしまいました。信長が怒りそうになったその瞬間に、秀吉「諸国をかたっぱしから平らげるという意味でしょうか。正月からめでたい話でございます」ととりなして、信長も破顔一笑したとか。

信長をとりなした「豊臣秀吉」。信長の跡を継いで全国統一を成し遂げた天下人の好物は、「タコの味噌焼き」

味噌に漬けて焼いたのか、焼いたタコに味噌を付けて食べたのかは分かりませんが、前者のほうが香ばしく、食欲をそそります。

そもそも、現代のような流通技術がないなかで新鮮なタコを食べるには、海沿いへ出掛けねばなりません。

秀吉は、1577年(天正5年)から1582年(天正10年)にかけて、毛利氏の勢力圏だった山陽、山陰地方を攻め、そのあとも九州、四国征伐や朝鮮出兵など、海に近いところで戦をすることも多く、きっと新鮮な魚介類、新鮮なタコを食べていたに違いない!とは、筆者の想像です。

さて、信長、秀吉とくれば、次は当然、「徳川家康」。好物として伝えられているのは、「麦飯」です。

麦飯・徳川家康

麦飯・徳川家康

血糖値や血圧を下げ、ビタミンB1を含んで脚気対策になるのが麦。コレステロールの吸収を妨げる効用もあります。健康に関心の高かった家康にはぴったりの食物です。

ちなみに、家康は、食べ物をよく噛んで食べたとか。よく噛んで食べると消化がよくなり、長生きにつながると言われています。

家康の好物・麦飯は白米より固いので、ゆっくり噛まないと食べられません。そのせいか、家康は晩年、柘植の木で作った総入れ歯でしたが、75歳まで長生きしました。

グルメな武将・伊達政宗

伊達政宗

伊達政宗

さて、戦国時代のグルメな武将と言えば、「伊達政宗」の名前が挙がります。「政宗公御名語集」にこんな言葉があるのです。

「少しも料理なきはつたなき者なり」
(料理の心得がまったくない者は心も貧しい)

「朝夕の食事うまからずとも誉めて食うべし」
(日々の食事がおいしくなくても、おいしいと思って食べるべきだ。そのほうが案外おいしく食べられるものだ)

料理や食事に関心を持っていたことが伝わってきます。

ちなみに、政宗は朝食後、2時間近くも「献立」を考えることがあったとか。ときには、厠で考えていたというのですから、グルメと言うより変わり者の域に入っていたのかもしれません。

そんな料理好きの政宗は、お正月のお祝い膳を一の膳、二の膳、三の膳まで作るよう命じ、60品目もの食材を盛り合わせたそうです。

政宗が指定した食材は、このわた、伊勢海老、鯨、白鳥、からすみ、蜜柑など。伊勢海老のように遠くから取り寄せなければ手に入らない物もありますから、当時としては豪華なお膳だったに違いありません。

また、陰陽五行説に基づいて白、黄色、黒、緑、赤の5色をお膳に飾ることにもこだわったと言われています。

こうした政宗のお正月料理が、現在のおせち料理につながっている説もあるほどです。

また、仙台市の城下町を造る際、政宗が力を入れたのが蔵作りでした。この蔵で、塩と麹をたっぷり使った「仙台味噌」の生産を始めたのです。

朝鮮出兵のとき、他の味噌は腐ってしまいましたが、仙台味噌だけは腐らなかったので周囲の賞賛を浴びたと伝わっています。

政宗の料理好きは、NHK大河ドラマ「真田丸」でも1シーンに取り上げられていました。

ずんだもち

ずんだもち

それは、みんなに仙台名物「ずんだもち」を振る舞っていたところです。ただ、ずんだもちが政宗考案の物であるかどうかははっきりしていません。

この他にも「笹かまぼこ」「凍み豆腐」など、政宗考案と言われる食べ物もたくさんあります。

真偽のほどはともかく、絶大な人気を誇る戦国武将・伊達政宗は、仙台味噌やおせち料理を通して、私達の食生活の中にずっと生きていることは確かなようです。

なお、1974年(昭和49年)に、政宗のお墓である瑞鳳殿の再建工事のため、墓室調査が行なわれました。

このとき、政宗の遺体が発掘されたのですが、歯の損傷が激しかったとのこと。おいしい物をたくさん食べながら、歯のお手入れは意外に杜撰だったのかもしれません。

政宗としのぎを削った、他の武将達の好物も少しご紹介しましょう。武田信玄の好物は、山梨県名物「ほうとう」。味噌をたっぷり入れてよく食べたそうです。また、アワビを煮て醤油漬けにした「煮貝」が好きだったと言われています。

上杉謙信は、出陣前の「勝どき飯」として山海の珍味の「炊き込みご飯」を振舞ったとか。陣中食としては「かんずり」が挙げられます。

唐辛子を雪にさらしてから塩と麹、柚子を混ぜ、2~3年寝かせた調味料です。現在でもお土産品として販売されています。

名もなき兵の食べた物

さて、有名な武将達ではなく、普通の兵士達は何を食べていたのでしょうか。

ご飯類は、「炒米」「干飯」です。干飯は、炊いたご飯を乾燥させた物。お湯や水と一緒に口に入れることが多かったと言います。古くから、旅人の食糧として利用されてきました。

おにぎりと書かれた資料もあるのですが、戦で激しく動いたり、城づくり等で重労働をしたりするとおにぎりはやわらかいために潰れてしまいます。保存にも向かないため、やはり干飯が多かったのではないかと考えられます。

また、「兵糧玉」という食べ物もありました。これは、米やそば粉、小麦粉、豆類、魚粉、すりゴマなどに酒、みりんを入れ、べとつかなくなるまでよくこねます。これをせいろで蒸して、天日干しした物です。

武田信玄は黒大豆や麻の実を、上杉謙信はウナギの白焼きを混ぜたとも言われています。兵糧玉の作り方を秘密にしている武将も多かったようです。

そして、「味噌玉」。焼き味噌に梅干しやわかめを入れて丸めた物、と言えば、「それ、見たことがある!」とおっしゃる方も多いのでは?

今、若い女性の間で朝ごはんの手間を省くために、具の入った味噌を1回分ずつ丸めて保存しておく味噌玉がよく作られています。

料理の原理としては、全く同じ物を戦国時代にも食べていたのです。

そのままでもよし、お湯があれば即席のお味噌汁のできあがり。お米と味噌を一緒に食べると、炭水化物、たんぱく質、脂質をバランスよく摂ることができます。

この他に、よく食べられたのは、「梅干し」です。塩分補給にぴったり。種を取って、糸につなげて持ち歩いたと言います。

「ずいき」もよく食べられました。サトイモの茎のことです。味噌汁で煮しめて、乾燥させます。戦場で、そのまま齧ったり、お湯で戻したり。

おもしろいのは、ずいきは、乾燥させると荒縄のようになるため、ふだんは本当に縄として腰に巻き利用していたとのこと。

ずいき・加藤清正

ずいき・加藤清正

また、加藤清正はずいきの干した物を城の畳の芯に利用し、篭城の際の食糧として備蓄したとか。乾物としてずいぶん便利な物だったようです。

なお、こうした食糧は、長期戦のときには、3、4日分がまとめて配られました。ひとりに水1升、米6合、塩は10人に付き1合、味噌は10人に付き2合といった具合です。

また、戦の前には、普段は口にできない白米や鶏肉なども振る舞われました。これを目当てに子ども連れで城にやってくる者がいたとかいなかったとか。

終わりに

こうして見てくると、今でも私達の食卓に並ぶ食べ物がいくつもあります。また、武将達の食事も意外に質素であったり、好みの食に個性があったりと、遠い昔の人々ですが、親しみを感じるのではないでしょうか。

ぜひ、好きな武将がどんな物を食べていたか、想像したり調べたりしてみて下さい。