皇位継承の証し天叢雲剣とその儀式とは?

4月1日に新元号が「令和」(れいわ)となることが発表され、新たな時代の幕開けに沸き立つ日本。5月1日には新天皇陛下が即位されることに伴い、2019年(平成31年/令和元年)に限り、この日が祝日となります。10連休となる異例のゴールデンウィークに、胸を躍らせている方も多いかもしれません。皇位を継承することを「践祚」(せんそ)と称し、5月1日にそのための儀式が執り行なわれる予定になっていますが、実はその儀式の中で、今上陛下から新天皇陛下となる皇太子徳仁親王(こうたいしなるひとしんのう)へ、ある刀剣が引き継がれることはご存じでしょうか。その刀剣とは、日本神話に伝わる「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ/あまのむらくものつるぎ)です。今回は、「践祚の儀」である「剣璽等承継の儀」(けんじとうしょうけいのぎ)について解説すると共に、「三種の神器」(さんしゅのじんぎ/みくさのかむだから)のひとつである天叢雲剣の全貌についてご紹介します。

剣璽等継承の儀で引き継がれる物とは

皇位継承と三種の神器

八咫鏡・天叢雲剣・八尺瓊勾玉

八咫鏡・天叢雲剣・八尺瓊勾玉

三種の神器とは、いわゆる「レガリア」(皇位の象徴であり、それを持つことで正統な継承者であることを認めさせる物品)として、代々の天皇に引き継がれてきた「八咫鏡」(やたのかがみ)・「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ/あまのむらくものつるぎ)・「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)という3つの宝物のことです。

これらは直接目にすることを禁じられており、天皇陛下でさえ、ご覧になったことがありません。

世界に目を向けてみると、レガリアには、かつてのフランス王国で「ジョワユーズ」と称される剣が王権の象徴として国王の肖像画に描かれていたり、またタイ王国では、国王が即位される際に、短剣や王冠といった「五種の神器」を着用されたりするなどの例が見られ、日本の天叢雲剣のように、刀剣を含む国がいくつかあるのが興味深いところ。

やはりいつの時代にも、またどの国においても、刀剣には、君主となるのにふさわしい強さを象徴する役割があったのかもしれません。

そんな中で三種の神器は、神代(じんだい:神武天皇[じんむてんのう]即位前の、神々が国を支配していた時代)の物が皇室に伝わっていたとされており、世界に数ある王室のレガリアの中でも、最も古くから存在していたと言えるのです。

5月1日の「剣璽等承継の儀」(けんじとうしょうけいのぎ)は、皇居・宮殿にある「正殿松の間」(せいでん/しょうでん・まつのま)にて行なわれる国事行為(こくじこうい:日本国憲法上、内閣の助言と承認によって天皇が行なうように定められている行為)の儀式。

新天皇陛下のご即位の証しとして、三種の神器のうち、木箱に収められた「剣」=天叢雲剣、及び「璽」=八尺瓊勾玉の2つが、新天皇陛下の御前にある案上(あんじょう:机の上)に、侍従(じじゅう:天皇のおそばに仕え、身の回りの業務を担当する役職)によって奉安(ほうあん:尊い物を謹んで安置すること)され、新天皇陛下に引き継がれるのです。

八咫鏡については、そのレプリカとも言える形代(かたしろ:神霊が依り憑く対象物の1種)が皇居の「賢所」(かしこどころ)に祀られています。

賢所は皇居の中でも、「神殿」(しんでん)、「皇霊殿」(こうれいでん)と共に「宮中三殿」(きゅうちゅうさんでん)と称され、これらは、宮中祭祀(きゅうちゅうさいし:国家や国民の安寧と繁栄を祈るため、天皇陛下が宮中三殿で執り行なう祭祀[神々や祖先などを祀ること])の中心となる場所です。宮中三殿は三種の神器と同じく、ご即位の証しとして継承されます。

伊勢神宮

伊勢神宮

また、八咫鏡の形代は、皇祖神「天照大神」(あまてらすおおみかみ)の神霊が込められた御神体であるために動かされず、剣璽等承継の儀のために賢所から持ち出されることはありません。ちなみに八咫鏡の実物は、伊勢神宮(内宮[ないくう])に、その御神体として保管されています。

また、皇居の中で、天叢雲剣と八尺瓊勾玉が安置されているのは、皇居の御所における天皇の寝室の隣にある「剣璽の間」。天叢雲剣は形代ですが、八尺瓊勾玉は、皇居にある三種の神器の中で唯一の実物です。

天叢雲剣の実物は、熱田神宮(あつたじんぐう)の御神体「草薙神剣」(くさなぎのみつるぎ:別名・草薙剣[くさなぎのつるぎ])として祀られています。

天皇のご公務に欠かせない「2つの印鑑」

ここまで剣璽等承継の儀と、そこで引き継がれる剣(天叢雲剣)と璽(八尺瓊勾玉)を含む三種の神器についてお話しましたが、では「剣璽等」の「等」って具体的には何が含まれるの?と気になった方もいるのではないでしょうか。

実は、この等が指しているのは、天皇陛下が国事行為の際に用いられる、「国璽」(こくじ)と「御璽」(ぎょじ)と呼ばれる2つの印鑑のこと。天皇陛下は、ご公務におけるご執務で年間約1,000件にも上る上奏書類を決裁されており、その際に、この国璽と御璽を押印されるのです。

天皇御璽金印・大日本国璽印字・天皇御璽御璽印字

天皇御璽金印・大日本国璽印字・天皇御璽御璽印字

具体的には、国家の象徴としての印である国璽には「大日本国璽」と刻されており、「勲記」(くんき:勲章と共に授与される証書)や外交文書などに押されます。

そして、天皇の印鑑である御璽には「天皇御璽」の刻印があり、こちらは、法律や条約の公布文、詔書(しょうしょ:天皇が発される意思表示の公文書)に押印される際に用いられるのです。剣璽等承継の儀では、剣と璽と同様に、国璽と御璽についても、侍従によって天皇陛下の御前に奉安されます。

剣璽、及び国璽と御璽を皇位継承の証しとして引き継ぐ儀式の名称が剣璽等承継の儀となったのは、1989年(昭和64年)1月7日に今上陛下へ代替わりされたときからです。と言うのも、もともとこの儀式には、「剣璽渡御の儀」(けんじとぎょのぎ)という名称が用いられていました。

しかしこちらは、1909年(明治42年)、すなわち「大日本帝国憲法」の時代に制定された皇室令である「登極令」(とうきょくれい)に基づいて行なわれていた儀式。

「渡御」(とぎょ)という言葉には、天皇や皇后などがお出ましになる、また、神輿(みこし)が進むというような意味があり、同儀式は、御神体である剣と璽が、新しい天皇陛下のもとへ自ら「渡る」という名目で行なわれていたことから、その名称が付けられていたのです。

ところが、登極令は1947年(昭和22年)5月2日に廃止となっており、今上陛下が皇位を継承されたときの日本の憲法は、すでに「日本国憲法」に変わっていました。

同憲法には「政教分離原則」が規定されているため、剣璽渡御の儀の名称から宗教色のある渡御を削除し、また、等を追加することで、皇位継承の証しとして引き継がれる「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」(皇室経済法第七条に規定)には、剣と璽のみならず、国璽や御璽なども含まれる意味合いを強調したのです。

天叢雲剣ってどんな刀?

様々に解釈される天叢雲剣誕生の伝説

三種の神器の中でも、天皇の武力の象徴とされる天叢雲剣。その誕生の伝説は、日本初の正史(せいし:国家などによって編さんされた正式な歴史書)であり、日本神話が記載されている「日本書紀」(にほんしょき)に始まります。

八岐大蛇を討ち取る素戔男尊

八岐大蛇を討ち取る素戔男尊

「国生み」と「神生み」を行なった男神「伊弉諾尊/伊邪那岐命」(いざなぎのみこと)と、その妻の女神「伊弉冉尊/伊邪那美命」(いざなみのみこと)から生まれた「素戔男尊/須佐之男命」(すさのおのみこと)が出雲国(いずものくに:現在の島根県東半部)の簸川(ひのかわ:現在の斐伊川[ひいかわ])にて、その上流に住んでいた「八岐大蛇」(やまたのおろち:頭と尾を8つずつ持つ大蛇)を十握剣(とつかのつるぎ:日本神話に登場する長剣の総称)で退治しました。

このとき、切り裂いた尾から現れたのが、のちに天叢雲剣と名付けられることになる大刀(たち:長大な直刀の総称)だったのです。

天叢雲剣の名称は、実は日本書紀の注記に見られるのみで、その由来には諸説ありますが、最もよく聞かれるのは、八岐大蛇がいた所の上空には、常に雲気が漂っていた説。

この天叢雲剣には、雨雲を呼び出す力が宿っていたと考えられていたため、八岐大蛇を、斐伊川など、古来出雲地方で頻発していた洪水の化身と見なし、素戔男尊による退治は治水を表していると解釈されることがあります。

また、この八岐大蛇の神話には、日本刀(刀剣)の制作には欠かせない製鉄技術の成り立ちを象徴しているという解釈も。

素戔男尊が八岐大蛇の尾を切った十握剣は、尾から出てきた天叢雲剣にあたってその刃が欠けてしまいました。このときの十握剣は銅製であったとされ、それよりも強靭であった天叢雲剣は、鉄製であったことが推測できるのです。

さらには、八岐大蛇がまとっていた雲は、製鉄を行なう場所から出た煙であるとも言われているのだとか。実際に斐伊川では、製鉄の材料となる良質な砂鉄が多く産出されており、その量は、川の砂が黒色に見えるほどであったと伝えられています。

天叢雲剣はその後、素戔男尊のもとから天照大神に献上。製鉄という当時の最先端の技術を結集させた貴重な同剣を渡したとするこの伝承は、その頃の大和朝廷と、その配下にあった出雲国の関係を暗に表しているのかもしれません。

草薙剣と呼ばれた理由と流転を繰り返した数奇な運命

天叢雲剣は天照大神に献上されたあと、次々とその所有者、そして安置される場所が変わっていきます。

瓊瓊杵尊と草薙剣

瓊瓊杵尊と草薙剣

まずは、天照大神の孫で、皇室の直接の祖先とされる「瓊瓊杵尊/邇邇芸命」(ににぎのみこと)。

瓊瓊杵尊は天照大神の命令により、天界から日向国(ひゅうがのくに:現在の宮崎県)の高千穂峰(たかちほみね)に下りました。これは、日本神話において「天孫降臨」(てんそんこうりん)と称される伝承。

このとき瓊瓊杵尊は、天照大神から天叢雲剣を含む三種の神器を手渡され、それらを地上へと持って来ていたのです。

これ以降、天叢雲剣は八咫鏡と共に、皇居内に祀られていました。ところが、10代天皇「崇神天皇」(すじんてんのう)の時代に、天叢雲剣と八咫鏡の実物は皇居の外で祀られることになり、それぞれの形代が作られます。形代は皇居に残り、天叢雲剣の実物は伊勢神宮に安置されました。

時を経て12代天皇「景行天皇」(けいこうてんのう)の時代になると、東征に向かう景行天皇の子「日本武尊/倭建命」(やまとたけるのみこと)へ、その叔母で現在の伊勢神宮内宮を創建したと伝えられる「倭姫命」(やまとひめのみこと)より、実物のほうの天叢雲剣が託されたのです。

日本武尊が駿河国(するがのくに:現在の静岡県中部。相模国[さがみのくに:現在の神奈川県]の説もあり)に辿り着くと、地元の賊衆に騙されて、野火で焼かれそうになります。このときに日本武尊は、天叢雲剣を持って燃え盛る草を薙ぎ払い(なぎはらい)、倭姫命から手渡されていた火打石で迎え火を点け、命の危機から脱したのです。それから天叢雲剣の名称は、「草薙剣」に改められたと伝えられています。

ちなみに現在の静岡県にある「焼津市」(やいづし)、そして「草薙」(くさなぎ:静岡市清水区)という地名は、この伝承が由来であると考えられているのです。

日本武尊/倭建命

日本武尊/倭建命

東征を終えた日本武尊は、その帰路の途中で尾張国(おわりのくに:現在の愛知県西半部)に立ち寄りました。そこで出会った「宮簀媛/美夜受比売」(みやすひめ/みやずひめ)を妻として迎えた日本武尊でしたが、伊吹山(いぶきやま:現在の滋賀県岐阜県の県境にある山)の荒神達の退治に出向くことになります。

その出発の際に日本武尊は、「我が床の守りとせよ」との言葉と共に、草薙剣を宮簀媛に預けたのです。

しかし、荒神の怒りに触れて暴風雨に晒されたことから心身を痛めたため、日本武尊は下山することを余儀なくされました。そして、故郷である大和国(やまとのくに:現在の奈良県)へ戻ろうとしましたが、伊勢国能褒野(いせのくに・のぼの:現在の三重県亀山市)の地で、帰らぬ人となってしまったのです。

宮簀媛は日本武尊が亡くなったあとも、その言葉通りに床を守って草薙剣を奉っていました。その晩年、草薙剣を安置する社殿の建立を決めた宮簀媛は、社地にふさわしい場所を探すことに。

ある日のこと、とある場所で楓の木がひとりでに発火し、近くの水田に飛び火するもその炎は消えることなく、水田も熱くなったまま。このことから、その場所を「熱田」と呼ぶようになり、社地に定めました。

そして、この社殿に御神体として草薙剣を祀ったことが、「熱田神宮」の起源となったのです。

こうして、熱田神宮に安置されることになった草薙剣ですが、668年(天地天皇7年)に新羅(しんら/しらぎ:古代の朝鮮半島南東部に存在した国家)の僧「道行」(どうぎょう)によって、2度も盗み出される事件が起こっています。

1度目は、本国に渡ろうとした道行のもとから草薙剣が自ら熱田神宮に戻って失敗。2度目は、草薙剣を持って摂津国(せっつのくに:現在の大阪府北西部、及び兵庫県南東部)から出港するも、難波津(なにわつ:大阪湾に古代存在した港湾施設。現在の大阪市中央区付近に位置していた)に漂着。

盗むことを諦めた道行は、草薙剣を海に投げ捨てようとしましたが、一向にその身から剣が離れようとしなかったため、遂に道行は自首したのです。

その後草薙剣は、一旦朝廷で保管されることになります。ところが、686年(朱鳥元年)に40代天皇「天武天皇」(てんむてんのう)が病に倒れられ、その原因が草薙剣の祟りであるとされたため、再び熱田神宮に返還されました。

それ以来、今日に至るまで草薙剣の実物は、熱田神宮においてその御神体として安置されているのです。

宮中に祀られている草薙剣の形代はと言うと、ある戦いにおいて紛失した騒動が起こっています。それは、1185年(元暦2年/寿永4年)に源氏と平家が戦い、平家が滅亡することになった「壇ノ浦の戦い」(だんのうらのたたかい)。

「平家物語」(へいけものがたり)では、「平清盛」(たいらのきよもり)の正室であった「二位尼」(にいのあま)が、草薙剣の形代を腰に差し、八尺瓊勾玉が収められた箱を担ぎ、数えでわずか8歳であった81代天皇「安徳天皇」(あんとくてんのう)を抱えて入水したと伝えられているのです。

平家方が草薙剣を含む三種の神器を宮中から持ち出したのは、自分達こそが、天皇を守護するのにふさわしい一族であることを主張するためであったと言われています。

そののち、源氏軍と朝廷が草薙剣を捜索するも、とうとう発見されず。そのため、のちに伊勢神宮の神庫から神剣を献上され、これを草薙剣の形代として、現在も宮中に祀っているのです。

三種の神器が課税対象だったってホント!?

2017年(平成29年)6月頃、三種の神器にまつわるある言葉が、日本のインターネットを賑わせました。

それは、「三種の神器は贈与税が非課税」という言葉。実際に目にすることが許されておらず、また、様々な伝承によって語り継がれていた三種の神器は、どこか神秘的なベールに包まれています。

それなのに、私達も納めている税金という現実的な概念とセットになるなんて、これはかなりのパワーワード(力やインパクトのある言葉)です。

もともと、三種の神器や国璽、御璽といった皇位継承の証しは、天皇陛下の代替わりの際に、通常は「相続」される物。天皇家であっても、継承される私有財産には相続税がかかります

しかし、三種の神器などは、皇室経済法第七条で「皇位とともに伝わるべき由緒ある物[由緒物]」と定められ、「相続税法」第十二条により、その相続税は非課税となっているのです。

その一方で、今回の代替わりは「譲位」(じょうい:天皇のご存命中に、その位をお譲りになること)であることから、相続ではなく「贈与」ということになります。ところが皇室関連の法令は、終身在位を原則として定められたもの。

そのため、由緒物の贈与については、明確な規定がありませんでした。こういったことから、由緒物に膨大な贈与税がかかることが懸念されていましたが、2017年(平成29年)6月9日に成立した「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」(てんのうのたいいとうにかんするこうしつてんぱんとくれいほう)において、由緒物の贈与についても税を課さないことが認められたのです。三種の神器が、本来は課税対象であったかもしれないなんてびっくりですね。

今回解説した剣璽等承継の儀など、新天皇陛下のご即位に関する一連の儀式等は、テレビでもその模様が中継される予定です。

令和という新たな時代がどのようなものになるのか思いを馳せながら、譲位という特別な形の代替わりの瞬間を見届けたいと思います。

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