108_「織田信長」の浮世絵

今年、じわじわと巻き起こりそうな、浮世絵ブーム。刀剣ファンの皆さんは、どんな浮世絵が観たいでしょうか。私はやはり、圧倒的なリーダーシップを誇った「織田信長」の武将浮世絵をたくさん観てみたいです。ということで、織田信長の武将浮世絵を探しました!

戦国武将 織田信長とは?

織田信長_29

織田信長

皆さんは戦国武将「織田信長」に、どんな印象をお持ちですか?

怒ると怖い、合理主義、大うつけ、背が高くてお洒落、意外と優しいなど、きっと様々だと思います。

2020年(令和2年)現在、民間会社が行なう「好きな戦国武将ランキング」などでは、度々1位を獲得。そんな織田信長を、昔の人はどう思っていたのか興味はありませんか。それは「浮世絵」で確認できます。

浮世絵とは江戸時代から明治時代に掛けて発達した風俗画のことを指します。浮世とは、現世(江戸時代~明治時代当時)という意味。「美人絵」「役者絵」「風景画」など、江戸時代の浮世絵師達は、現代の「ニュース」のように、その当時を生き生きと描いていました。

例外と言えるのが「武者絵」で、武者絵とは、歴史上の人物を描いた絵のことです。どうして、江戸時代の人は、江戸時代よりも昔の戦国時代や室町時代の武将の絵を描いたのでしょうか。

織田信長のエピソードや、関連のある刀剣・日本刀をご紹介します。

織田信長のエピソードをはじめ、それに関係する人物や戦い(合戦)をご紹介します。

江戸時代の織田信長人物像とは?

織田信長と言えば、1560年(永禄3年)の「桶狭間の戦い」で相まみえた「今川義元」を破り、1570年(永禄13年/元亀元年)の「姉川の戦い」でも浅井・朝倉連合を破りました。

さらに、1573年(元亀4年/天正元年)には、室町幕府15代将軍「足利義昭」を追放して室町幕府を滅亡させ、1575年(天正3年)の「長篠の戦い」では「武田勝頼」に大勝利。

しかし、天下統一まであと一歩のところで1582年(天正10年)に「本能寺の変」が起き、家臣「明智光秀」に裏切られ自害したという人物です。

現代では「稀代の英雄」というイメージが強い織田信長ですが、江戸時代は実はそうではありませんでした。それは、江戸時代に描かれた浮世絵を観れば分かります。

108_太平記因幡山之図 全図

太平記因幡山之図

この浮世絵は、幕末の1862年(文久2年)に、「落合芳幾
(おちあいよしいく)という浮世絵師が描いた「太平記因幡山之図」(たいへいきいなばやまのず)です。

これは「稲葉山城の戦い」という、織田信長が美濃国(現在の岐阜県)の戦国大名「斎藤義龍」(斎藤道三の嫡男)を打ち破って、稲葉山城(のちの岐阜城)を手に入れたことを伝える絵。

厳密に言うと、江戸時代は徳川家や天正年間以降の大名の話や絵を描くことは禁止されていたので、こちらは「見立て絵」(歴史的事実を当世風に描いた絵)となっています。

それでは、ここで問題です。織田信長は、どこにいるでしょうか?

108_太平記因幡山之図

正解は、一番端にいる兜を被った人物。

戦いの主役であるはずなのに、どこにいるか分からないくらい、
とても小さく描かれています。主役級に大きく描かれているのは、なぜか「浅野長政」「堀尾吉晴」「豊臣秀吉」。

これはどうしてかと言うと、江戸時代は織田信長の評価がかなり低く、人気がなかったからなのです。

江戸時代の儒学者達は、織田信長のことを主君・足利義昭を裏切るダメな人、比叡山を焼き討ちにした残虐な人物、本能寺の変で家臣に裏切られて命を落としたのは自業自得と見なしていました。

そういう理由で、江戸時代の浮世絵にはほとんど描かれず、歌舞伎や浄瑠璃でも、織田信長を主役にしたお話はゼロ。織田信長は、徳川家康や豊臣秀吉を引き立てる役、または悪役として、ほんの少し描かれていたに過ぎなかったのです。

次の図は、「楊斎延一」(ようさいのぶかず)という浮世絵師が描いた、「本能寺焼討之図」(ほんのうじやきうちのず)。

108_本能寺焼討之図 全図

本能寺焼討之図

本能寺の変の主役と言えば織田信長であるはずですが、本武将浮世絵でも中央には「安田国継」(やすだくにつぐ)という武将が描かれ、織田信長は端っこに描かれているに過ぎません。

108_本能寺焼討之図

織田信長が見直された理由

そんな評価が低かった織田信長を見直したのは、江戸時代後期の儒学者「頼山陽」(らいさんよう)と言われています。
頼山陽が著書「日本外史」の中で、織田信長を「超世の才」と書いたことで、幕末の志士達が織田信長を再評価し、「勤王家」と尊敬するようになったのです。

次の浮世絵は、1885年(明治18年)に、「小林清親」(こばやしきよちか)が描いた「教導立志基 織田信長」(きょうどうりっしのもとい おだのぶなが)。
明治時代になると織田信長は、この絵のようにきちんと画面中央に主役として描かれるようになりました。

108_教導立志基 織田信長 全図

教導立志基 織田信長

この絵は、斎藤道三が、娘「帰蝶」をお嫁に出すにあたり、織田信長がどんな人物か見極めたいと、美濃と尾張の境にある「正法寺」(聖徳寺)まで会見に来させる場面が描かれています。

織田信長の大名行列を民家の戸口から斎藤道三が眺めると、大うつけ、かぶき者(奇妙な人)という評判通りに、髪は茶筅まげ、赤い着物に赤い太刀を差した格好の織田信長を発見。その姿に、斎藤道三はがっかりしていたと伝えられています。

しかし、いざ会見が開かれると、織田信長はきちんと武士の正装に着替え、その姿や態度は至極立派。
織田信長は、うつけではなく、礼節を重んじられる好青年だと判明し、斎藤道三に高く評価されました。

日本外史の評価のおかげで、宣教師「ルイス・フロイス」が書いた歴史書「日本史」や、織田信長の家臣「太田牛一」が書いた「信長公記」がきちんと研究されます。

1944年(昭和19年)には、坂口安吾が小説「鉄砲」1963年(昭和38年)には、司馬遼太郎が小説「国盗り物語」を発表し、
織田信長は、現在の私達が抱くような人物像へ次第に見直され、好きな戦国武将に選ばれるに至ったのです。

役者絵に観る織田信長

次にご紹介するのは、役者絵に観る織田信長の浮世絵です。

厳密に言うと、織田信長ではなく「小田春長」(おだはるなが)。小田春長は1808年(文化5年)「鶴屋南北」脚本で初舞台が演じられた歌舞伎「時今也桔梗旗揚」(ときいまききょうのはたあげ)に登場します。

江戸時代、大名の名前を書物等で使用するのは禁止されていたので、織田信長のことを小田春長と呼んだのです。時今也桔梗旗揚の演目は、「桔梗」の旗を使用していた明智光秀が主役で、小田春長(織田信長)は脇役でした。

しかし、4代目・中村芝翫(なかむらしかん)という名優が演じて人気となり、役者絵が描かれたのです。

このように、織田信長の浮世絵はなかなか見付けることはできませんが、織田信長に扮した役者絵であれば、あと数枚は見付けられるはずです。

皆さんも、ぜひお気に入りの武将を浮世絵で見付けてみてはいかがでしょうか。

【関連サイト】
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