134_神宮徴古館では豪華な刀剣に出会える!

お伊勢参りでおなじみの伊勢神宮は、格式高い神社として有名ですが、伊勢神宮内にある「神宮徴古館」(じんぐうちょうこかん)では、神宝と呼ばれる華麗な宝物の数々を鑑賞できることをご存じでしょうか。展示品の中には、まさに宝刀と呼ぶにふさわしい豪華絢爛な太刀や、平安・鎌倉時代の貴重な日本刀など、刀剣好きには垂涎ものの収蔵品があり、館内にて一般公開されています。

神宮徴古館とはどんな施設?

神宮徴古館」(じんぐうちょうこかん:三重県伊勢市)とはどのような場所なのか、まずは施設についてご紹介します。

神宮徴古館とは

134_神宮徴古館外観

神宮徴古館

神宮徴古館は1909年(明治42年)9月29日に、伊勢神宮周辺の整備事業を行なった「神苑会」により、日本で最初の私立博物館として建造されました。

1891年(明治24年)に建設された農業館とともに「お伊勢さんの博物館」として親しまれてきましたが、1945年(昭和20年)7月の宇治山田空襲により徴古館の建物と収蔵品の多くが焼失してしまいました。

その後、1953年(昭和28年)の第59回神宮式年遷宮を記念し、当初は石造りの外壁だけだった状態から2階建ての博物館に改修され現在にいたります。

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神宮徴古館の魅力

神宮徴古館では、伊勢神宮の営みや神宮のお祭りで使用する祭器具、お供え物に関する資料を紹介している他、神宮式年遷宮で新調される御装束神宝(撤下品)の実物の展示や、徴古館が所蔵する資料からテーマに沿った企画展示を行なっています。

神宮徴古館の見どころを解説!

神宮徴古館には、約13,000点にも及ぶ膨大なコレクションが収蔵されています。そのジャンルも歴史・考古・美術工芸品など様々。神宮徴古館の展示物には、大きく分けて3つの見どころがあります。

伊勢神宮の式年遷宮にかかわる神宝や資料、神宮徴古館が有する重要文化財の数々、さらに皇室とゆかりの深い神宮徴古館ならではの品である「国史絵画」が特筆すべき注目の展示品となっています。

11点に及ぶ重要文化財

神宮徴古館には、11点にも及ぶ貴重な重要文化財が揃っています。その代表的な品を2つご紹介しましょう。

据台付子持𤭯

明治期に設立された神宮徴古館の最初の注目品となったコレクションが「据台付子持𤭯」(すえだいつきこもちはそう)です。

1911年(明治44年)に購入され、2001年(平成13年)には、大英博物館での展示品として貸出も行なわれた貴重な品となっています。

据台付子持𤭯は、福岡県福岡市西区で出土した古代の祭器で、5世紀後半の古墳時代に制作されたとみられている須恵器です。欠損のない完品であることと、芸術的な造形表現にも優れていることから重要文化財として指定されました。

もとの持ち主であり、明治期に神職・考古学者として活躍していた江藤正澄は、自身の自叙伝の中で天下無双品と称しています。

地球儀・天球儀(作者:渋川春海)

江戸時代の天文・暦学者として有名な渋川春海が、自ら制作した
「地球儀・天球儀」です。

囲碁の名家である安井家に生まれ、安井算哲2世として幕府の棋所に出仕していた人物ですが、日本初の暦である貞享暦を作成したことでも良く知られています。

当時の日本の暦は、平安時代に中国から輸入された暦が長く使われていましたが、日本と中国の地理的な経度差が考慮されることなく用いられていたため、日食・月食の推定に大きな狂いが生じていました。

囲碁や算学だけに限らず、様々な学問への探求を怠ることのなかった渋川春海は、天文学にも興味を持ち、誤りの多かった暦の問題点を発見。朝廷に働きかけ改暦を成功させた功績を認められて、江戸幕府に新設された天文方に任ぜられています。

神宮徴古館に収蔵されている地球儀・天球儀は、渋川春海が伊勢神宮に参拝した折に奉納された品で、当時の文化水準を窺うことのできる学術的にも貴重な文化財となっています。

歴女・歴史ファンなら見逃せない!三英傑揃い踏みの書状

地理的に伊勢神宮と近かった尾張・三河の地。この地方に生まれ、名高い天下人となった織田信長豊臣秀吉徳川家康三英傑も、伊勢神宮には深い崇敬の念を抱いていました。

神宮徴古館には、歴女・歴史ファンの多い3人の戦国武将が遺した書状が収蔵されています。

戦国三英傑
戦国時代の三英傑、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康についてご紹介します。
織田信長黒印状

現代に至るまで1300年の間、執り行なわれてきた伊勢神宮の遷宮ですが、戦国時代の初期に、その伝統は一時途絶えてしまっていました。それを復活させたのが織田信長です。

織田信長と伊勢神宮の関係は、織田信長の父、織田信秀の時代から続いていました。伊勢上人と呼ばれていた慶光院周養という尼僧が、伊勢神宮の保護を全国に訴えて勧進を行なっていたところ、それに賛同した織田信秀が寄進をしたことがきっかけです。織田信長は、父の意志を継いで伊勢神宮に寄進を続けていたのです。

神宮徴古館に残る「織田信長黒印状」は、慶光院周養にむけて、遷宮用材伐採の祭りを行なうよう命じる書状。

織田信長は、平井長康を遷宮奉行に命じて、遷宮のために銭3,000貫文という巨費を寄進しています。

織田信秀のエピソードをはじめ、それに関係する人物や戦い(合戦)をご紹介します。

織田信長のエピソードをはじめ、それに関係する人物や戦い(合戦)をご紹介します。

織田信長のエピソードや、関連のある刀剣・日本刀をご紹介します。

豊臣秀吉検地免除朱印状

天下人の地位を織田信長から引き継いだ豊臣秀吉も、伊勢神宮には別格の扱いを施していました。

豊臣秀吉が全国的に厳しく太閤検地を実施した際、伊勢の宮川から内側は神宮の領地として、検地を免除したのです。それを示しているのが、「豊臣秀吉検地免除朱印状」

現在でも広大な敷地を有する伊勢神宮の領地は、この太閤検地の折に確保された土地です。

織田家中において木下藤吉郎を名乗っていた頃には、織田信長の代参として伊勢神宮に参拝し、宇治橋造営の橋奉行を務めた経歴も持っています。

豊臣秀吉のエピソードをはじめ、それに関係する人物や戦い(合戦)をご紹介します。

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徳川家康朱印状

織田信長が復活させた式年遷宮ですが、実現したのは織田信長の死後の1583年(天正13年)のこと。

また、徳川家康も伊勢神宮への崇敬を持ち、寄進を怠たりませんでした。慶光院周養には、遷宮を執り行なうよう下した朱印状が遺されています。

さらに徳川家康は、遠国奉行として「山田奉行」(伊勢奉行)という役職を設け、式年遷宮の監督や、神宮の警備を担当させました。個人として財産を寄進するだけでなく、幕府の政治体制の一環として伊勢神宮を保護するシステムを作り上げたのです。

徳川家康のエピソードをはじめ、それに関係する人物や戦い(合戦)をご紹介します。

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日本の成り立ちを描いた絵画群

神宮徴古館が収蔵している絵画で要注目なのが、国史絵画の数々。1933年(昭和8年)に、明仁上皇陛下が生誕したことを奉祝記念して制作された絵画です。

この国史絵画は、当時の国内の一流画家を起用して、神話の時代から昭和までの歴史を絵画で描く壮大なプロジェクトによって生み出された作品となっています。当時の東京府が55人に及ぶ当代一流の画家に依頼し、青少年の学習教材として78点にも及ぶ作品が完成。東京にあった教育施設「養正館」で展示されていました。

しかし、太平洋戦争後に、養正館の閉鎖が決まり、国史絵画も東京都美術館の地下収蔵庫に封印されることとなってしまいます。そのことを知り、この名画を人々がいつでも観賞できるようにするために尽力したのが、旧宇治山田市長を務めた北岡善之助です。

「伊勢の博覧会男」の異名を持っていた北岡善之助の働きかけが功を奏した結果、国史絵画は東京都教育委員会より全点が伊勢市に譲渡される運びとなりました。

その後、伊勢市から伊勢神宮へと奉納されることになり、現在では神宮徴古館に保管・収蔵されています。

神宮徴古館では、国史絵画の中から、時代ごとに厳選した企画展示がたびたび実施されています。国史絵画を中心に、その時代のテーマに合わせた歴史資料なども並べた意欲的な展示企画です。

神宮徴古館には多数のコレクションが収蔵されていますので、常設の展示だけではなく、こうした特別展示を楽しんでみることもおすすめです。

神宮徴古館の見どころは伊勢神宮ゆかりの展示品の他、国の重要文化財に指定されている刀剣2振や神宝である御太刀があり、これらも見逃せません。

また、伊勢神宮で20年に1度行なわれる式年遷宮。これは社殿を新たに造り替えることで、大御神に新宮にお遷り頂く行事で、1300年に亘り続けられています。

式年遷宮の宝刀

式年遷宮の際には、神々に捧げる714種類もの宝物もすべて新調され、遷宮でお下げした神宝は埋納または焼納されていましたが、現在は式年遷宮の意義を紹介し、その技術を次世代に伝えるため、保存・公開しています。

特にこれらの中でもひと際目を引くのが御太刀です。5種の宝石を纏った「玉纏御太刀」(たままきのおんたち)や貴重なトキの羽を使った「須賀利御太刀」(すがりのおんたち)など、日本刀とは違った趣のある華麗な太刀は、刀剣ファンでなくとも心を奪われてしまうほどの美しさを誇ります。

重要文化財に指定されている2振の刀剣

神宮徴古館に収蔵されている2振の刀剣は、それぞれ平安時代と鎌倉時代の貴重な刀剣。どちらも国の重要文化財に指定されています。

2振のうちのひとつである「毛抜形太刀」は、日本刀の原形とも言われており、「平将門の乱」(たいらのまさかどのらん)で平将門を打ち取ったとされる「藤原秀郷」(ふじわらのひでさと)の佩刀としても有名です。

また、神宮徴古館に収蔵されている毛抜形太刀は、の部分に矢の痕が、の部分に太刀の傷跡が残っていることから、何度か戦場で使用されていたことが分かります。

もうひとつは「有國」(ありくに)の折返し銘がある脇差です。有國は鎌倉時代初期に現在の京都府で活動した「粟田口派」の刀工で、実質的な開祖とされています。有國については現存する作品が少なく、非常に貴重な1振となっています。

建物自体が有形文化財

神宮徴古館は、明治期に建てられたルネッサンス様式の重厚な外観が目を惹く特徴的な建物となっています。

神道の中でも格別の位置付けをされている伊勢神宮ゆかりの建物が西洋建築様式によって建てられたのは、当時の国家情勢や、皇室との深いかかわりがあるのです。

神宮徴古館の設計を手掛けたのは、明治期に工部省の官僚として建築技師を務めていた片山東熊(かたやまとうくま)。のちに宮内省に入省して、多くの宮廷建築を手掛けることになった人物です。片山東熊の代表的な建築物として良く知られているのが、現在は迎賓館となっている「国宝赤坂離宮」

134_迎賓館(国宝赤坂離宮)。

迎賓館(国宝赤坂離宮)

片山東熊は、幕末期に長州萩の藩士の家系に生まれた人物で、奇兵隊に属していたこともありました。明治維新後、日本が近代化への道を歩み始めたころに、官費生として工学寮に入学したことが建築家への第一歩となります。

工学寮とは、明治政府が欧米の文化水準に追いつくために設けた工業教育機関のこと。1877年(明治10年)に、工部大学校へと変わっています。片山東熊は、工部大学校の建築学科第1期生となって、明治政府が招聘したイギリス人建築家のジョサイア・コンドルに師事しました。第1期生だった片山東熊の同期には、東京駅を設計したことで有名な辰野金吾らがいます。

神宮徴古館は、計画当初では神道式の木造建築が採用される予定でした。しかし耐火性の観点から木造案は見送られることとなり、西洋建築様式を熟知していて、宮内省を通し皇室とも縁の深かった片山東熊に白羽の矢が立てられたのです。

設計にあたって、片山東熊が採用したのはルネサンス様式。合理的な近代モダニズムが進む世情の中で、古典復古主義とも言われるルネサンス様式を採ったのは、伝統の様式美を重んじる神道に配慮した影響があったのかもしれません。

片山東熊が設計した神宮徴古館は、左右対称に両翼を広げた城館を連想させるような石・煉瓦造りの本格的な西洋建築です。エントランスを抜けたすぐの中央ホールの上部には、角ドームが設けられ、屋根は銅板葺きの設計となっています。

全体は左右に張り出した翼屋を、廊下で中央ホールと繋ぐ平面形状の構造。ネオバロック式が採用されていますが、片山東熊が手掛けた赤坂離宮とどこか通じる雰囲気を持ち合わせている設計です。

耐火性を重んじて設計された神宮徴古館ですが、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)に起きた宇治山田空襲の際に、焼夷弾によって外観を残しすべて焼失してしまいました。

現在観ることのできる形に復興されたのは、1953年(昭和28年)のこと。戦前から内務省神社局造営課に属して多くの神社建築を手掛け、戦後は明治神宮の再建も行なった角南隆(すなみたかし)が担当しています。

復旧の際、もとのルネサンス様式の外観は、基本的にそのまま活かされることになりました。変更された点は、それまでの平屋造りが改められて、2階建ての構造となったこと。さらに中央ドームが取り除かれて、その部分が2方向へ下がってゆく山型の切妻屋根、他の部分は4方向へ下がってゆく寄棟構造となっています。

内部で変更された点は、鉄筋コンクリートが使用されたRC構造となったことです。一部では鉄骨も用いられて、建物の補強も行なわれました。前庭はベルサイユ宮殿を模して造られた設計で、緑鮮やかな風景が広がる瀟洒(しょうしゃ)で美しい庭となっています。

神苑会によって建てられた神宮徴古館ですが、現在は寄贈が行なわれて、「宗教法人神宮」が所有する建物となっています。明治時代の代表的な建築物として、1998年(平成10年)には、国の登録有形文化財に指定されました。

神宮徴古館を訪れる際は、展示物だけではなく、建物自体も歴史ある貴重な文化遺産となっていますので注目してみましょう。

神宮徴古館の近くにあるおすすめ飲食店

134_神宮徴古館近くの飲食店

旅行や観光には欠かせない、神宮徴古館の近くで食事を楽しめるスポットをご紹介します。

クッカーニャ・トレ

クッカーニャ・トレ」はおしゃれな佇まいを持つ、本格イタリアンレストランです。クッカーニャと言うレストランの3店舗目なので、クッカーニャ・トレとなります。

外観は白を基調としたシンプルながら品のあるデザインとなっています。

黒石

黒石」(くろいし)は、1966年(昭和41年)創業の日本料理屋です。

「伊勢海老を食べずにして伊勢は語れません!」と言う店主の言葉が表すように、最上級の伊勢海老を使った料理が自慢の一品です。

リビエラ

リビエラ」は駅から少し離れた国道沿いにある、ファミリー向けのレストランです。

お会計時にプレゼントされる「リビエラコイン」を次回利用時に使うと、こだわりコーヒーがアップグレードできるなど、ユニークなシステムが特徴のお店です。

神宮徴古館近くのおすすめ宿泊施設(ホテル)

134_神宮徴古館近くの宿泊施設

旅行や観光に便利な、神宮徴古館にアクセスしやすいおすすめ宿泊施設(ホテル)をご紹介します。

麻吉旅館

麻吉旅館」(あさきちりょかん)は、江戸時代に五大遊郭と言われた、伊勢古市の佇まいを残した老舗旅館です。

200年以上前からあるとされている木造宿は、今なお江戸時代の風情を現代に伝えています。

日本の旅行施設「麻吉旅館」についてご紹介します。

ホテルキャッスルイン伊勢

ホテルキャッスルイン伊勢」は、140台収納可能な駐車場を備えたビジネス観光ホテルです。

伊勢市駅との無料送迎バスを運行しているためアクセスも便利。最上階には伊勢市内を一望できる展望大浴場があり、旅の疲れを癒やすのに最適です。

日本の旅行施設「ホテルキャッスルイン伊勢」についてご紹介します。

伊勢シティホテルアネックス

伊勢シティホテルアネックス」は、伊勢市駅から徒歩約3分の立地にあるビジネス観光ホテルです。

伊勢神宮の外宮まで徒歩約15分、内宮まで車で約15分とアクセスが良いので、お伊勢参りの際の拠点宿として重宝します。

日本の旅行施設「伊勢シティホテルアネックス」についてご紹介します。

伊勢シティホテル

伊勢シティホテル」は、伊勢シティホテルアネックス同様に伊勢市駅から徒歩約3分の立地にあるビジネス観光ホテルです。

最大300名収容可能な大ホールの他、大・中・小会議室を完備しており、ビジネス拠点としての色が強くなっています。

日本の旅行施設「伊勢シティホテル」についてご紹介します。

神宮徴古館だけじゃない!近くにあるおすすめ観光スポット

134_神宮徴古館近くの観光スポット

神宮徴古館へ行ったならぜひ一緒に回りたい、おすすめ観光スポットをご紹介します。

神宮農業館

神宮農業館」(じんぐうのうぎょうかん)は、神宮徴古館と同じ敷地内にある産業博物館です。

「自然の産物がいかに役立つか」をテーマとしており、明治の頃の博覧会にて出品された産業資料の他、サメの剥製・蝋細工の植物模型等、自然科学系資料を中心に展示しています。

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神宮美術館

神宮美術館」(じんぐうびじゅつかん)は、1993年(平成5年)の第61回神宮式年遷宮を記念して創設された美術館です。

主に絵画、書画、陶芸、金工、木工、染織、竹工などの、伝統技術や芸術関連資料を展示しています。

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倭姫宮

倭姫宮」(やまとひめのみや)は、伊勢神宮の正宮のひとつである、皇大神宮(内宮)の別宮です。約2,000年前に皇大神宮を創建したとされる倭姫命(やまとひめのみこと)を祀っています。

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まとめ

神宮徴古館の見どころは、他では観ることのできない宝物の数々です。特に豪華絢爛な宝刀は貴重な文化財であるとともに、芸術性の高い作品と言えるのではないでしょうか。

また、建物自体も美術価値の高い建築物となっていますので、伊勢への観光や旅行の際にはぜひ足を延ばしてみて下さい。

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