133_島田美術館の魅力や見どころ

戦国時代の剣豪と言えば誰を思い浮かべるでしょうか。人それぞれ好みや思い入れも様々だと思いますが、やはり宮本武蔵を外すことはできません。熊本県熊本市にある「島田美術館」では、宮本武蔵ゆかりの品々が収蔵されており、実際に使っていたと言われる刀剣も展示されています。
島田美術館の魅力とともに、美術館近くの観光スポットやおすすめの飲食店などもご紹介します。

島田美術館とは

島田美術館」(熊本県熊本市)は、古美術研究家である故島田真富氏の遺した収集品を広く一般に公開することを目的として開館された私立美術館です。

故島田真富氏の旧宅跡地に建てられた島田美術館は、島田真富氏の生涯の収集品を、国民共有の財産として郷土の歴史と伝統を語り継ぐ縁にしたいとの考えから、孫である島田真祐氏により開館されました。

美術館は街中の雑踏から切り離されるように木々に囲まれ、過去と現在が混在する不思議と落ち着いた雰囲気を醸し出しており、「木立の中、温故知新の道場」というキャッチコピー通り。

また島田美術館は、二天一流を開いた剣豪「宮本武蔵」との縁が深い美術館となっていて、展示物の中心も宮本武蔵に関する品が多いので、歴女や刀剣ファンにおすすめです。

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宮本武蔵の生涯

宮本武蔵
宮本武蔵

一般的に、宮本武蔵という剣豪の名前は知られていても、その生涯について詳しく知っている方は少ないのではないでしょうか。島田美術館は宮本武蔵に関する展示が中心となっていますが、それは宮本武蔵の生涯が、熊本と縁の深い関係にあるからです。

宮本武蔵という剣豪の前半生は、正確な記録があまり残っておらず、一般的に伝わっている逸話には、後世の創作と分析されているエピソードもたくさん含まれています。

一武芸者にすぎなかった宮本武蔵の謎多き半生は確定的な記述がないため、いまだに様々な諸説がありますが、現在、一般的な通説とされているエピソードをご紹介していきます。

島田美術館の魅力を探るためにもまずは、宮本武蔵の生涯を振り返ってみましょう。

出生の地

宮本武蔵が生まれたのは、播磨もしくは美作という現在の兵庫県岡山県にあたる地方だったと伝えられています。

義父は、「新免無二斎」(しんめんむにさい)という兵法家。新免無二斎は、美作の竹山城主であった新免宗貫に仕えていて、足利将軍家の剣術師範吉岡氏に打ち勝ったことから、主君から新免の姓を与えられました。

宮本武蔵という名前は通称で、本名は「新免玄信」(しんめんはるのぶ)であったとされています。

13歳で初めての決闘

兵法家である養父のもとで育った宮本武蔵も剣術を習得していたのですが、初めて決闘を行ったのは13歳ごろのことだったと伝えられています。

このとき対戦相手になったのが、塚原卜伝が開祖した新当流の使い手であった有馬喜兵衛という人物。この有馬喜兵衛に勝利して以来、宮本武蔵は武芸で身を立てることになり、生涯に亘って経験した決闘の数は60回を超えるとされています。

関ヶ原の戦いに参加

青年期における宮本武蔵は、剣術家というよりも兵法家として戦場での武者働きを目指していました。

石田三成徳川家康が争った「関ヶ原の戦い」においては、西軍の宇喜多秀家の家臣として仕えて参戦したと言われています。

この頃の宮本武蔵の去就には様々な諸説があり、義父と共に東軍側だった黒田官兵衛に仕えて九州で西軍と戦っていたとの説もあるのです。

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吉岡一門との抗争

宮本武蔵が、剣豪としてその名を轟かせることになったのが、吉岡一門との戦いです。

吉岡流は京都の名門剣術流派で、室町幕府兵法所の師範も務めていた一門で、平安時代の末期に剣術の開祖となった鬼一法眼の京八流という流派の系譜から派生したと言われています。当主は代々「吉岡憲法」と名乗り、特に小太刀の扱いに優れていました。

宮本武蔵は3度に亘って吉岡一門と対決することになるのですが、最初の対決となったのが、吉岡家当主の「吉岡清十郎」です。宮本武蔵が21歳のときに対決が行われたと自ら書き記しています。京都の船岡山に近く葬送の地であった蓮台野において、吉岡清十郎を木刀の一撃で打倒しました。

次に宮本武蔵に挑んだのが弟の「吉岡伝七郎」です。吉岡伝七郎は5尺あまりという長大な木刀で宮本武蔵と対峙しましたが、逆にその木刀を奪われて敗北します。

最後の対決となったのが、一乗寺下り松という場所での戦いで、吉岡清十郎の息子である吉岡又七郎と吉岡流の門人数百人に包囲されながらも突破することに成功しました。この戦いを契機として吉岡流の血統は途絶えたと、宮本武蔵の養子であった宮本伊織は記述に残しています。

巌流島での決戦

宮本武蔵の生涯におけるハイライトとして語り継がれている「巌流島の戦い」。剣豪「佐々木小次郎」と対決したことで有名な決闘です。

佐々木小次郎も謎の多い人物で、その詳細は明確になっていません。宮本伊織が残した碑文では単に巌流と記すのみで、佐々木小次郎という名前が出てくるのは、宮本伊織の碑文をもとに代々の二天一流の継承者が後年に記述し、現在に伝わる宮本武蔵像の原典となった「二天記」という書物が最初となっています。

佐々木小次郎は、豊前国の岩石城を本拠地にしていた有力豪族佐々木氏の家系に生まれたとの説があります。中条流、またはその流れを汲む鐘捲流(かねまきりゅう)という流派を修めた剣術家でした。小倉藩細川家の剣術指南役を務めていて、その出自に由来した巌流、岩流という名称を号していたようです。

佐々木小次郎の代名詞と言えば、「秘剣燕返し」。これは虎切という剣術の型を、現代の作家が佐々木小次郎の固有の名称に改めた技です。佐々木小次郎が諸国を放浪していたときに、福井の一乗谷の滝で身に付けた型だと伝わっています。

上段に構えた長刀を間合いの外からあえて空振りし、その隙を突こうと相手が踏み込んできた瞬間に切り上げるという戦法です。常人には扱うことのできない長大な太刀を自在に操るだけの技術を持ち得なければ習得できない戦法で、佐々木小次郎の力量を窺うことのできる切り札です。

宮本武蔵が佐々木小次郎との対決に至ったのには、細川家の内情が深く関与していたとの説があります。細川家は関ヶ原の戦い後に豊前の領地を獲得したのですが、土着の佐々木氏はなかなか臣従することがなかったようです。そのため佐々木小次郎を剣術師範とすることで、佐々木氏を懐柔しようとしました。

しかし、佐々木小次郎の実力が飛び抜けていたため、多くの門人を獲得してその人望が厚くなっていきます。この事態を憂慮した細川家の家臣は、宮本武蔵と対決させて勢力を削ごうと考えました。そして余人の目を避けるために選ばれたのが、関門海峡に浮かぶ「舟島」です。

舟島での決闘の記述はばらつきがあり、どの記述が正しいのかは明確になっていません。宮本伊織の碑文では、佐々木小次郎は3尺の真剣、宮本武蔵は木刀で対峙して一撃で撲殺したと書かれています。

一方、当時の細川藩家老であった沼田延元が残した「沼田家記」では、佐々木小次郎は宮本武蔵の一撃で昏倒しただけでしたが、息を吹き返したところを潜んでいた宮本武蔵の弟子数人が仕留めたとされているのです。

また二天記では、佐々木小次郎は物干し竿と呼ばれる備前長船長光の太刀を、宮本武蔵は船の櫂(かい)を削った二刀流で挑んだとされています。

これらの記述は細部の表現は違っていますが、佐々木小次郎が絶命に至ったのは共通していて、宮本武蔵が勝利したのは間違いないようです。佐々木小次郎に勝利した宮本武蔵でしたが、長く豊前には留まりませんでした。

舟島はのちに佐々木小次郎を偲んで巌流島と呼ばれるようになったことからも、宮本武蔵にとっては敵地となっていたようです。

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大坂の陣・島原の乱に参戦

宮本武蔵が剣術の対決を行った60回あまりのうち、巌流島の戦いは最後の方に行われた決闘で、宮本武蔵はこれ以降、目立った決闘を行ってはいません。

しかし、単なる武芸者というより、合戦のすべてにかかわる兵法家を目指していた宮本武蔵は、戦場働きには積極的に参加していたようで、大坂の陣に徳川方の水野勝成のもとで参戦。また宮本伊織が豊前小笠原家の家老となっていたことから、九州の大名が動員された島原の乱にも参加しています。

小笠原家との縁ができたのは小笠原家が播磨明石藩主だったときで、当主の小笠原忠真と交流があったことから、養子の宮本伊織が近習に取り立てられました。宮本伊織は小笠原藩政にとって非常に有能な人物で、20歳の若さで家老となるまでに出世を遂げています。島原の乱での功績により、宮本伊織は、小笠原家の筆頭家老となりました。

宮本武蔵自身は、小笠原忠真の甥である豊前中津藩の小笠原長次の後見として島原の乱に参加しています。

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肥後熊本藩・細川家に招聘

関ヶ原の戦い以後、豊前小倉の領地を与えられた細川家は、加藤家の肥後熊本藩改易に伴い、肥後の領地に転封となりました。その後、細川家に替わって小倉に移ったのが、宮本伊織が仕える小笠原家です。

細川家と小笠原家は姻戚関係にあり、その点も考慮された政治的処置でした。島原の乱において、小笠原家に滞陣していた宮本武蔵は、細川家の家老である松井興長とも交流していたことを示す書状が残っています。

宮本武蔵はこうした縁もあり、肥後熊本藩細川家に客将として招かれました。熊本の地において宮本武蔵は、二天一流兵法という流派を確立しています。数多くの門人も集い、「寺尾孫之丞勝信」と「寺尾求馬助信行」兄弟という正当な後継者も出てきました。

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霊厳堂に籠り五輪書を執筆

二天一流を確立した宮本武蔵は、その兵法の奥義を書き記すことを決意します。

宮本武蔵が執筆のために選んだ場所というのが、熊本市の西方に位置する金峰山にある洞窟の「霊巌洞」。岩戸観音と呼ばれる観音像が安置されているこの場所で、5年の歳月を費やして完成させた書が「五輪書」です。「地」、「水」、「火」、「風」、「空」の5巻から成り、オリンピックの和訳である「五輪」の語源となったことでも有名となっています。

剣術の技法だけでなく、合戦の軍法や哲学的な思索まで記されたこの書により、宮本武蔵の名は広く知られるようになりました。

宮本武蔵は晩年をこの熊本で過ごし、死後も細川藩主のことを見守りたいという遺言から、参勤交代の行列が通る大津街道沿いに甲冑姿のままで葬られたと伝えられています。

島田美術館の見どころ

島田美術館の見どころのひとつは、伝説の剣豪・宮本武蔵の遺墨や遺品を鑑賞できる点です。晩年の宮本武蔵は、剣術家としてだけではなく、書画に通じた文化人という一面も持ち合わせていました。

島田美術館ではそうした縁の品も多く所蔵されていて、宮本武蔵自身が筆を執った水墨画や有名な五輪書の写本など、剣豪のイメージとは少し違った角度から楽しむことができます。

島田美術館の刀剣

宮本武蔵と言えば、一番のイメージは刀剣です。島田美術館では、宮本武蔵が所用していたと伝わる2振の刀剣「刀 無銘 金重」「刀 銘 大和国住国宗」が収蔵・展示されています。その内の無銘 金重は、吉岡一門との対決の際に使用された刀剣。

この他、島田美術館には木刀や稽古太刀なども収蔵されています。伝説の剣豪の刀剣を鑑賞できる貴重な機会となりますので、刀剣ファンや歴女の方はぜひ島田美術館に足を運んでみましょう。

刀 無銘 金重(南北朝時代)

無銘ながら、美濃伝の関鍛冶である「金重」の作と推定されている作品です。

金重は、関鍛冶の祖として知られる刀工として有名な人物。相州伝五郎入道正宗の高弟である正宗十哲のひとりにも数えられています。

本刀剣は、刃長が約70cm、反りが約1.7cmと、南北朝時代の作としてはやや小振りなサイズの刀剣です。を磨上げて短くなっているためだと推測されていて、磨り上げを施したことで無銘となったようですが、金重の作風が良く表れています。

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ゲームとのコラボ展を開催

島田美術館では、過去にも特別展としてゲームとのコラボ展を開催するなど、柔軟なイベント展開もしています。

ゲームのキャラクターとしての戦国武将の武器を、刀剣の職人が持てる技術を尽くして再現した作品の展示とともに、実際の戦国武将ゆかりの品を展示する斬新な企画でした。

不定期で刀剣教室を開催

島田美術館では、不定期開催にはなりますが、刀剣研磨師による日本刀の手入れ指南が大人気です。

そもそもなぜ手入れが必要なのか、その原理や方法などを丁寧に解説してくれる、刀剣初心者向けの講習会。

保護者同伴であれば中学生以下でも参加できますので、お気軽に参加してみてはいかがでしょうか。

島田美術館近くのおすすめ飲食店

133_島田美術館近くの飲食店

島田美術館近くの、おいしい料理が食べられるおすすめの飲食店をご紹介します。

島咲人

島咲人」(しまさきびと)は、ランチメニューが豊富な定食屋。夜は居酒屋としてお酒を楽しめます。

ランチは800円からのリーズナブルなお値段設定で、揚げたてでジューシーなから揚げ定食がボリューム満点で人気です。

島咲人の施設情報や口コミ、投稿写真、投稿動画をご紹介します。

ちゃぶだい

ちゃぶだい」は、店内に掘り炬燵のあるお洒落な雰囲気の居酒屋です。蔵風の外観で、店内も落ち着いていてくつろぎやすく、料理も厳選された食材を使ってていねいに作られ提供されます。

席は座敷なので、子ども連れでもゆっくりと食事ができますが、事前にお電話での予約が推奨されています。

ちゃぶだいの施設情報や口コミ、投稿写真、投稿動画をご紹介します。

居食家こまつ野

居食家こまつ野」(いしょくやこまつの)は、ユーモアあふれるご主人が人気の居酒屋です。

お店の近くにある市場から新鮮な魚を仕入れているため、味、鮮度ともに満足できる料理が提供されます。揚げ物や焼き物などのメニューも豊富なので、お魚以外も十分に楽しめます。

居食家こまつ野の施設情報や口コミ、投稿写真、投稿動画をご紹介します。

島田美術館近くのおすすめ宿泊施設(ホテル)

133_島田美術館近くの宿泊施設

熊本観光に便利な、おすすめ宿泊施設(ホテル)をご紹介します。

KKRホテル熊本

KKRホテル熊本」は、熊本城の目と鼻の先にあるカジュアルなホテル。

ホテル内には結婚式場を備えており、ウェディングプランの他、子どもの記念日をお祝いするプランや法要プランなどを用意し、冠婚葬祭の様々なシーンで利用できます。もちろん、観光や旅行でも十分満足のいくサービスを提供してくれます。

熊本城の施設情報や口コミ、投稿写真、投稿動画をご紹介します。
KKRホテル熊本の施設情報や口コミ、投稿写真、投稿動画をご紹介します。

天然温泉 六花の湯ドーミーイン熊本

天然温泉 六花の湯ドーミーイン熊本」は、最上階の13階に天然温泉を備えたビジネスホテルです。

施設名にもある「天然温泉 六花の湯」には、ゆっくりと星空を眺めながら入浴できる露天風呂や内湯などがあります。バーも完備しており、湯上がりの一杯で1日の疲れもすっかり忘れてしまいます。

天然温泉 六花の湯ドーミーイン熊本の施設情報や口コミ、投稿写真、投稿動画をご紹介します。

ネストホテル熊本

ネストホテル熊本」は、自宅のような居心地の良さが売りのビジネスホテルです。

ネストホテルの名前はneat(整美)、 efficient(効率)、 smiling(笑顔)、 tasteful(美味)の頭文字から取られており、ホテルが提供するサービスのこだわりにつながっています。宴会スペースも完備しており、交流会や懇親会でも利用されています。

ネストホテル熊本の施設情報や口コミ、投稿写真、投稿動画をご紹介します。

島田美術館と一緒に楽しみたいおすすめ観光スポット

133_島田美術館近くの観光

熊本観光時に外せない、おすすめの観光スポットをご紹介します。

本妙寺

本妙寺」(ほんみょうじ)は、1585年(天正13年)に豊臣家臣である加藤清正により建立されました。

元々は摂津(今の大阪の辺り)に建立され、加藤清正が肥後の大守になると熊本城内に移されましたが、1614年(慶長19年)に焼失したため、現在地に移転し今に至ります。

写経会や祈祷会、季節ごとの催し物など、一般参加可能なイベントが定期的に開催されています。

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熊本市立熊本博物館

熊本市立熊本博物館」は、プラネタリウムを備えた熊本市民に愛される博物館です。

常設展示以外にも、特別展や企画展、子ども向けの科学教室をはじめとするイベントなど、「未来へつなぐ熊本の記憶」を全体テーマとして、熊本の歴史や文化を来館者に伝えています。

熊本市立熊本博物館の施設情報や口コミ、投稿写真、投稿動画をご紹介します。

熊本県立美術館

熊本県立美術館」は、熊本城の二の丸公園の一角に位置する総合美術館です。

収蔵品は考古、絵画、版画、彫刻、工芸、書物など多岐に亘り、様々なコンセプトの特別展示やイベント、後援会、学芸員によるギャラリートークを開催するなど、何度足を運んでも楽しめる企画が満載です。

熊本県立美術館の施設情報や口コミ、投稿写真、投稿動画をご紹介します。

まとめ

生涯60余りの勝負において、無敗。佐々木小次郎との巌流島での決闘などが有名な宮本武蔵ですが、晩年はむしろ水墨画や書物、工芸品を好んだとも伝えられています。

島田美術館では宮本武蔵ゆかりの品々に限らず、多くの美術品が収蔵されています。私立美術館なので、意外な展示物に出会えるかもしれませんね。

【関連サイト】
島田美術館 徳川家康 石田三成 宇喜多秀家 黒田官兵衛 水野勝成 加藤清正 金重 正宗 正宗十哲 島咲人 ちゃぶだい 居食家こまつ野 KKRホテル熊本 天然温泉 六花の湯ドーミーイン熊本 ネストホテル熊本 本妙寺 熊本市立熊本博物館 熊本県立美術館
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