174_致道博物館には国宝の刀剣も!

山形県鶴岡市は、徳川四天王筆頭である酒井忠次をはじめとする、酒井家代々が深く根付いている土地です。鶴岡市にある「致道博物館」(ちどうはくぶつかん)には酒井家ゆかりの品々の他、国宝や重要文化財に指定されている刀剣も収蔵されており、歴史好きだけでなく刀剣好きな方にもおすすめの観光スポットとなっています。

致道博物館とは

庄内地方は、日本の原風景があちこちに残っていて、ノスタルジックな郷愁に誘われる観光地として有名です。「致道博物館」(山形県鶴岡市)の近辺にもレトロでお洒落な洋風建築物がたくさん残っています。

致道博物館とはどのような場所なのか、まずは施設について理解しておきましょう。 

致道博物館は、徳川四天王の筆頭「酒井忠次」を祖とする庄内藩第16代藩主「酒井忠良」が設立しました。

1950年(昭和25年)に土地建物や文化財などを寄附し、地方文化を発展向上させる目的で設立した財団法人以文会が致道博物館の始まりとなります。

設立後は、1952年(昭和27年)に財団法人以文会致道博物館、1957年(昭和32年)には財団法人致道博物館へと改称。2012年(平成24年)より公益財団法人致道博物館となり現在に至ります。

致道博物館のある場所は、庄内藩政を担っていたかつての鶴ヶ岡城の三の丸で、藩主酒井家の御用屋敷となっていたところです。現在では、鶴ヶ岡城跡全体が、鶴岡公園として整備されていて、致道博物館もそのすぐ近くにあります。

藩政の中心地であっただけにこの場所には、庄内地方の歴史と風土を知る上で貴重な資料がたくさん集まっています。致道博物館のことを知るためには、鶴ヶ岡城の歴史と、この地に育まれてきた庄内藩酒井家の士風を知ることが重要です。詳しくご紹介していきましょう。

酒井忠次のエピソードや関係する人物、戦い(合戦)をご紹介します。
庄内藩をはじめ、江戸時代の代表的な100藩を治世などのエピソードをまじえて解説します。
刀剣展示をしている博物館・美術館についてご紹介!

鶴ヶ岡城の成り立ち

鶴ヶ岡城の前身は、鎌倉時代初期に築城されたと伝えられている大宝寺城です。大宝寺城は、庄内地方一帯を治めていた大宝寺氏の居城でした。大宝寺氏は、陸奥国鎮守府将軍であった藤原秀郷の流れを汲み、最初は武藤を名乗っていましたが、のちに大宝寺へと姓を変えた一族です。

戦国時代に入ると、国人衆の勢力が強くなったことで大宝寺氏は衰退。庄内地方は、越後上杉氏と山形最上氏の争いの場となります。幕藩体制が確立される頃には、最終的に最上氏の領地となりました。当主であった最上義光は、大宝寺城を隠居の城とするため整備を始め、呼び名も鶴ヶ岡城と改められています。

しかしその最上氏も、「最上騒動」と呼ばれる継嗣問題で改易となり、最上氏に替わって庄内藩主となったのが、信濃松代藩を治めていた左衛門尉酒井家です。

その後、鶴ヶ岡城は、幕末の戊辰戦争を経て新政府に明け渡されるまで存続しました。

酒井忠次を祖とする庄内藩主酒井家

酒井忠次_1
酒井忠次

庄内藩主となった酒井家は、酒井忠次の代から大名の地位を確立した家系です。徳川家康に仕えていた酒井忠次は、三河以来の譜代の武将。結束の固い徳川家臣団の中でも、安祥譜代と呼ばれる最古参の家柄となっています。

徳川家康が人質として、織田家今川家で過ごしていた頃も常に付き添っていた人物です。徳川四天王のひとりとしても有名で、「長篠の戦い」や「小牧・長久手の戦い」といった戦場で功を上げた武将でもあります。

酒井忠次自身は、江戸幕府が開かれる前に死去していますが、左衛門尉酒井家は、越後高田、信濃松代を経て、鶴ヶ岡城に入り、出羽庄内藩主となっています。

徳川家康のエピソードや関係する人物、戦い(合戦)をご紹介します。
徳川家康のエピソードや、関連のある刀剣・日本刀をご紹介します。
歴史上の人物が活躍した長篠の戦いをご紹介!
歴史上の人物が活躍した小牧・長久手の戦いをご紹介!
武将達が戦った長篠の戦いの古戦場をご紹介!
武将達が戦った小牧・長久手の戦いの古戦場をご紹介!

士風刷新のため致道館を設立

「致道館」は、江戸中期の1805年(文化2年)に設立された藩校です。

藩士の緩んだ気質を庄内藩第9代藩主の酒井忠徳が憂いたことからはじまり、士風の刷新と質実剛健を目指した人材教育を第一の目的としていました。

致道館の名の由来は、儒教の論語にある「君子学ンデ以テソノ道ヲ致ス」から来ています。そのため致道館の教育方針は、江戸時代の儒学者である荻生徂徠が日本で確立した朱子学の教えを基本としていたのです。

新徴組と戊辰戦争

致道館での教育の成果が良く現れていたのが、幕末期の「新徴組」(しんちょうぐみ)と戊辰戦争での庄内藩兵の強さです。

京都市中警備を担当していた会津藩預りの新選組は一般的にも良く知られている存在ですが、江戸市中警備を担当していたのが、庄内藩預りの新徴組。もとはひとつの組織で、庄内出身の策士清川八郎が江戸で募集を掛けて集めた浪士組が前身となっています。

京都に赴き、新選組の局長を務めた初代芹沢鴨や二代目近藤勇らと袂を分かったあとは、江戸に戻って山岡鉄舟、高橋泥舟といった幕閣の庇護を受けていました。

その後、新徴組は庄内藩預りとなるのですが、庄内藩は江戸を警備するにあたり、出羽から藩士やその子弟を呼び寄せて組織の規律維持を図っていました。致道館で育った藩士が警備の任に就いたことにより、江戸の治安安定に繋がったのです。

戊辰戦争のきっかけとなったのが、庄内藩と薩摩藩との抗争です。江戸市内の混乱を工作していた薩摩藩が庄内藩新徴組の屯所を襲撃、その報復として庄内藩が薩摩藩邸を焼き討ちしたことが発端となっています。

いち早く近代兵装化を遂げていた庄内藩は、奥羽越列藩同盟最強の軍と恐れられ、個別の戦いでは敗戦知らずのままでしたが、次第に同盟が瓦解して孤立することとなり、新政府軍に従うことを申し入れ降伏しました。

戦後、会津藩をはじめ幕府側だった東北諸藩の多くは、大幅な減封を余儀なくされますが、庄内藩は17万石から12万石に減じられただけで済み、廃藩置県に至るまで酒井家は知藩事を務めています。

領民に慕われた酒井家と豪商本間家

江戸時代を通じて、酒井家と庄内の領民には良好な関係が続いていました。領民に対し見事な善政を施していた酒井家ですが、それを支えたのが酒田の豪商本間家です。

鶴岡からほど近い場所にある酒田は、北前貿易の中継地として栄えていました。そこで莫大な利益を上げていた本間家は、その財力を持って酒井家を援助していたことで、庄内藩は領民への税を軽くすることができたのです。

酒井家と領民の蜜月ぶりを示すエピソードに、「三方領知替え」という事件があります。1840年(天保11年)に、幕府から領地替えを命じられた酒井家ですが、酒井家を慕う領民の嘆願や一揆騒動が頻発したため、幕府が断念したという稀有な事件です。

また戊辰戦争では、藩士だけではなく、領民も兵として参加。本間家の財力により、最新鋭の武器を揃えていた庄内藩の強さを支える一助となりました。庄内藩の降伏後も領民は酒井家の残留を望み、多額の献金を拠出することで転封を阻止しています。

酒井家が致道博物館を設立するに至るまでには、このように領民との間に培われた良好な関係性の歴史があり、そのことは酒井家が致道博物館を設立した目的が「地方文化の向上発展に資すること」であることからも伺うことができるでしょう。

致道博物館の見どころ

致道博物館の見どころは、なんと言っても貴重な刀剣や庄内地方ゆかりの史料の数々です。

国宝や重要文化財の民俗史料・刀剣が所蔵

民俗技術や風俗慣習に関する資料のうち、特に歴史的価値の高い資料は、国から重要有形民俗文化財の指定を受け保護されます。特に山形庄内地方は民俗文化財の宝庫であり、致道博物館では多数の収蔵品が指定を受けているのです。

致道博物館が有する民具全体では、重要有形民俗文化財8件5,350点を所蔵。そのうちの7件3,550点が、「重要有形民俗文化財収蔵庫」内にて展示・収蔵されています。

庄内地方の名産焼物である「大宝寺焼コレクション234点」をはじめ、当時の物流の歴史研究をする上で重要となっている背負運搬習俗品「庄内のばんどりコレクション116点」などを展示しており、庄内で育まれた貴重な文化風俗を観覧することができます。

致道博物館では考古、歴史、民俗資料が収蔵品の中心となりますが、刀剣や甲冑も数多く収蔵されています。

なかでも「短刀 銘 吉光 名物信濃藤四郎吉光」重要文化財に指定されており、「太刀 銘 真光 附糸巻太刀拵」「太刀 銘 信房作 附糸巻太刀拵」国宝です。

太刀 銘 真光 附糸巻太刀拵

酒井忠次が織田信長より拝領した太刀で、国宝に指定されています。数々の戦場で武功を上げた酒井忠次ですが、特に語り継がれる逸話となっているのが、長篠の戦いにおける活躍です。

この戦いで、織田・徳川連合軍は長篠城を本拠としていましたが、武田軍はそれを包囲するように5つの砦を築きました。なかでも武田勝頼が陣取っていた鳶ヶ巣山砦は、急峻な地形に囲まれており攻撃が困難な砦です。

酒井忠次は、鳶ヶ巣山砦の背後からの奇襲を織田信長に進言して見事に成功。その後の設楽原での織田・徳川軍勝利に繋がる武功を上げます。織田信長はその帰途に三河吉田城へと立ち寄り、接待にあたった酒井忠次に黄金200両とこの太刀を与えました。

真光は、鎌倉期の備前伝長船派の刀匠で、長光の弟子であったと言われています。こちらの太刀は鎌倉時代の刀剣らしく、腰反りが非常に高く身幅も広いことが特徴。

また、付属する糸巻太刀拵も織田信長から与えられた貴重な物で、桃山時代の華やかな造りとなっています。

この太刀は、真光作の中では唯一の国宝となりますので、刀剣ファンであれば一度は目にしておきたい太刀です。

太刀 銘 信房作 附糸巻太刀拵

こちらの刀剣も、酒井忠次が武功を上げた際に主君である徳川家康から拝受した太刀となっています。

酒井忠次が活躍したのは、小牧・長久手の戦いの緒戦においてのこと。美濃の猛将で森蘭丸の兄であり鬼武蔵として知られていた森長可が、小牧山城に陣取っていた徳川家康への襲撃を画策した戦いです。

小牧山城の近くにある愛知県犬山市の羽黒という場所に着陣した森長可軍を、早朝奇襲によって追い払ったのが酒井忠次。この戦いに勝利した徳川家康は、拠点となった小牧山城を本格的な城砦に作り替える猶予を得ることができたのです。この働きの褒美として徳川家康は、信房作の太刀を酒井忠次に与えています。

信房という刀匠は2人いて、ひとりは古備前派、もうひとりは古一文字派の刀匠となっています。どちらも備前で活躍した人物ですが、同一人物であるという説もあり、研究が進められている刀匠です。

この太刀は従来、古備前派信房の作とされていましたが、新説も出ているのではっきりとした作者が定まっていません。しかし細身で格調高い刀身は、刀剣のなかでも最も美しい姿の名刀と位置付けられて国宝に指定されています。

色々縅胴丸・朱塗黒糸縅二枚胴具足
(酒井忠次所用)

刀剣だけではなく、甲冑においても致道博物館には注目すべき収蔵品があります。

収蔵品のうち「色々縅胴丸」は、重要文化財に指定されている甲冑です。甲冑の歴史の中でも胴丸は、室町時代以降に普及した鎧で、こちらの胴丸は精巧な作りの品となっています。

また儀式用と見られる色々縅胴丸に対して、実用的な甲冑と推定されているのが「朱塗黒糸縅二枚胴具足」。胴丸を進化させた具足という形式の桃山時代の鎧で、装飾的要素の少ない簡素な作りではありますが、実用性を重んじて丁寧に作られた良品となっています。

いずれの甲冑も、酒井忠次所用の品として酒井家の家宝として伝わっていた貴重な甲冑なので、歴史ファン必見の展示品です。

刀剣に関した企画展示が開催

致道博物館では、刀剣や甲冑などの企画展示も不定期に開催されています。過去には、重要文化財である色々縅胴丸をはじめとする室町時代から江戸時代の甲冑とともに、平安時代から江戸時代の太刀・打刀短刀薙刀といった刀剣及び装具を一堂に展示するなど、大規模な企画展示を開催。

また、現代の刀匠による刀剣や刀装具の展示など、刀剣の未来を感じられる企画展示も行われています。

刀剣に関するイベントも開催

刀剣に関する企画展示の開催期間に合わせて、イベントも開催されています。

学芸員による刀剣のギャラリートークをはじめ、現代刀匠をゲストとした特別対談や、子供向けにはなりますが甲冑の試着体験など、その内容は多種多様です。

致道博物館の魅力

致道博物館の敷地は鶴ヶ岡城の三の丸にあたり、同敷地内の酒井氏庭園は書院庭園として国の名勝に指定されています。

構内にはレトロな趣のある擬洋風建物の旧西田川郡役所、旧鶴岡警察署庁舎の2棟と、江戸時代の創建となる湯殿山麓の田麦俣から移設した旧渋谷家住宅が保存。それら建築物を活用して様々なテーマ別に常設展示を行っています。

酒井氏庭園は国の名勝

旧庄内藩主「御隠殿」は、致道博物館にある酒井氏庭園にある建築物で、東北では珍しい書院造の建物となっています。庄内藩第11代藩主の酒井忠発が建てた隠居所で、江戸にあった中屋敷を解体して移築された建築物です。

こちらでも貴重な史料が展示されているのですが、特に歴史ファンに注目してもらいたいのが、磯釣り関連の展示。

庄内藩では、武士階級の心身鍛錬の嗜みとして磯釣りが奨励されてきました。かつては藩士自らが竿を作るほど、磯釣りに熱中していたのです。庄内藩士達が作っていたのは苦竹を使用した一本竿で、その技術と伝統は今でもこの地方に残り、庄内竿として多くの釣り人に愛用されています。

釣りを通して尚武の精神を培ってきた庄内藩士の釣道文化の歴史を感じることができるので、致道博物館を訪れた際はぜひ立ち寄ってみたい場所のひとつです。

レトロな擬洋風建築

174_旧鶴岡警察署庁舎
旧鶴岡警察署庁舎

致道博物館の構内にある旧西田川郡役所と旧鶴岡警察署庁舎は、「擬洋風建築」という建築様式の建物。

旧西田川郡役所は1969年(昭和44年)に、旧鶴岡警察署庁舎は2009年(平成21年)に国の重要文化財に指定されています。

擬洋風建築とは、主に明治時代初期の日本において施工された建築様式で、従来の日本建築に西洋建築の特徴を盛り込んだ建築物を指します。和と洋のテイストをうまく盛り込み文明開化を彷彿とさせるような、どこか懐かしい雰囲気が特徴です。

致道博物館の近くにあるおすすめ飲食店

174_致道博物館近くの飲食店

旅行や観光には欠かせない、致道博物館の近くでお食事を楽しめるスポットを押さえておきましょう。

桂やお食事処

桂やお食事処」(かつらやおしょくじどころ)は、昔ながらの定食屋さん。店内にはカウンター席とお座敷席があり、宴会など大人数でも利用可能となっています。

創作料理水の食卓 百けん濠

創作料理水の食卓 百けん濠」(そうさくりょうりみずのしょくたくひゃっけんぼり)は、鶴岡市の中心に位置する創作料理店です。

お店はお濠をイメージして作られており、テラス席では川の流れを眺めながら、ゆったりとお食事を楽しむことが可能。開放感のある店内は自然光を取り込み、やわらかい雰囲気を醸し出しています。

すず音

すず音」(すずね)は、鶴岡市の地元食材を使った懐石料理のお店。既製品や化学調味料は一切使わず、旬の食材をそのままの味わいで楽しめる料理が特徴です。

店内は個室をメインとした造りになっており、心からくつろげるように落ち着きと安らぎある雰囲気を大切にしています。

致道博物館近くのおすすめ宿泊施設(ホテル)

174_致道博物館近くの宿泊

旅行や観光に便利な、致道博物館にアクセスしやすいおすすめの宿泊施設(ホテル)をご紹介します。

東京第一ホテル鶴岡

東京第一ホテル鶴岡」は、見晴らしの良い天然温泉を備えたホテルです。

建物内にはバイキングレストランや日本料理店の他、夜から営業するバーもあるので、ホテル内でゆっくりと過ごすことができます。

ホテルルートイン鶴岡駅前

ホテルルートイン鶴岡駅前」は、ルートインホテルズが全国に展開するビジネス観光ホテルのひとつ。

ホテル高層階にあるコンフォートルームでは、室内にルームシアターを備えており、映画を自由に鑑賞することができます。

ホテルイン鶴岡

ホテルイン鶴岡」は、鶴岡市内に位置するビジネスホテル。ホテルの周辺にはコンビニ、大型スーパー、飲食店、病院などがあり、長期滞在にもピッタリです。

また、庄内空港と鶴岡駅への送迎サービスを無料で行っています。

致道博物館だけじゃない!近くにあるおすすめ観光スポット

174_致道博物館近くの観光

致道博物館へ行ったならぜひ一緒に回りたい、おすすめ観光スポットをご紹介します。

荘内神社

荘内神社」(しょうないじんじゃ)は、旧鶴ヶ岡城本丸に位置する酒井家藩主を祀った神社です。

庄内藩初代藩主の酒井忠次、第2代藩主の酒井家次、第3代藩主の酒井忠勝、第9代藩主の酒井忠徳の功績を称え、御祭神として信仰を集めています。

大督寺

大督寺」(だいとくじ)は、庄内藩主である酒井家の墓所でもあるお寺。

境内の記念碑には「学校給食発祥の地」と刻まれており、これは明治の頃、貧しい家庭の子供達のために大督寺の中に学校を作り、お弁当を出したことが学校給食の始まりとされていることに由来しています。

まとめ

致道博物館では、国宝をはじめとする刀剣の企画展示を不定期に行っています。

また、企画展示と並行して刀剣に関するイベントも開催されることもありますので、刀剣好きな方はスケジュールを確認の上、足を運んでみてはいかがでしょうか。

【関連サイト】
致道博物館 酒井忠次 徳川家康 最上義光 織田信長 森蘭丸 桂やお食事処 創作料理水の食卓 百けん濠 すず音 東京第一ホテル鶴岡 ホテルルートイン鶴岡駅前 ホテルイン鶴岡 荘内神社 大督寺
刀剣展示 博物館の日本刀
全国にある主な博物館・美術館を一覧でご覧頂けます。
旅探 博物館・美術館
日本全国の博物館・美術館を検索できます。
旅探「全国の神社・寺・教会」
旅探で日本全国の神社・寺・教会を簡単検索!
クックドア
飲食店をお探しなら「クックドア」で検索!
ホテバンク
日本全国の宿泊施設を検索できる情報サイト