161_歴女にオススメ!イケメン戦国武将

戦国武将と言えば、群雄割拠する動乱の世を剣や槍の腕前、優れた統率力などで覇権をめぐってしのぎを削る人々を想像するのではないでしょうか。しかしこれだと何だか難しくてとっつきにくいところがあります。けれど最近では、容姿も内面もイケメンな戦国武将が登場する漫画やゲームなどが大人気。美麗な戦国武将達の友情や主従関係を描いた漫画作品から、ユーザーとの恋愛シミュレーションを楽しめるゲームまで、今や様々なものが存在します。人気のイケメン戦国武将について、ご紹介していきましょう。

明智光秀

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明智光秀

明智光秀」(あけちみつひで)と言えば、主人である「織田信長」を裏切り「本能寺の変」を起こした人物としてよく知られています。この謀反のせいで、その後の豊臣政権や江戸時代以降も世間での評価はあまり高くなく、野心家の悪人だと語られていました。

しかしこうした悪評は、主君を裏切った明智光秀の評価を落とすため、「豊臣秀吉」が行ったプロパガンダだったと言われています。

実際の明智光秀は、織田信長からの信頼も厚く、織田家の家臣になってから10年ほどで家老にも抜擢されており、公家との交渉、京都の行政、畿内の武将達の監視など、織田家の家臣団の中でも重要な立場でした。

優れた頭脳を持ち合わせながら鉄砲の腕前も高かったことから、織田家の前に仕えていた朝倉家では、この鉄砲の技術を買われて仕えることになっています。

加えて明智光秀は、かなりのイケメンであったとも言われているのです。イエズス会の宣教師「ルイス・フロイス」が著した「日本史」には、「明智光秀の子女は、西洋の貴族に劣らぬくらい美しかった」といった記述があります。ここに登場する子女とは、明智光秀の娘「珠子」(たまこ:のちの細川ガラシャ細川忠興の正室)のことで、当時から絶世の美女として名高い姫でした。

こうしたことから、父親である明智光秀もイケメンであったと言えるのではないでしょうか。

2020年(令和2年)に放送されたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」では、明智光秀役を俳優「長谷川博己」さんが演じています。以前から謎の多い明智光秀ですが、新たな見解をもとに今までにない明智光秀像を見ることができます。

明智光秀のエピソードや関係する人物、戦い(合戦)をご紹介します。
明智光秀のエピソードや、関連のある刀剣・日本刀をご紹介します。

直江兼続

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直江兼続

直江兼続」(なおえかねつぐ)は、幼少期に利発さを見込まれて、越後国(現在の新潟県)の戦国武将「上杉景勝」(うえすぎかげかつ)の近習に取り立てられました。

上杉景勝の養父「上杉謙信」が亡くなったのちに起きた跡目争い「御館の乱」で上杉景勝方が勝利すると、直江兼続は腹心として上杉家の執政を司るようになります。その手腕は内政面でより良く発揮され、内乱が多く疲弊しきっていた越後国の立て直しに尽力。江戸時代になり上杉家が越後国から出羽国(現在の山形県秋田県)の米沢藩に領地替えをしてからも、城下の整備や治水などの様々な施策を講じ、米沢藩の礎を築いています。

上杉景勝の右腕として活躍した直江兼続ですが、容姿についても人並みならざるものを持っていました。

江戸時代の逸話集「常山紀談」(じょうざんきだん)によると「長高く容儀骨柄並びなく、弁舌明に殊更大胆なる人なり」とあります。同じく、江戸時代の「名将言行録」(めいしょうげんこうろく)には、「背が高く、容姿は美しく、言葉は晴朗」と書かれているのです。

どちらも「背が高くハンサムで、声も美しい」とあり、頭脳明晰な上に、かなりのイケメンであったとのちの世にも残されていることが分かります。

また、2009年(平成21年)から放送されたNHK大河ドラマ「天地人」で、直江兼続役を俳優「妻夫木聡」さんが演じました。こちらの作品も直江兼続ファンの方は見逃せません。

直江兼続のエピソードや関係する人物、戦い(合戦)をご紹介します。
直江兼続のエピソードや、関連のある刀剣・日本刀をご紹介します。

井伊直政

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井伊直政

井伊直政」(いいなおまさ)は、徳川家康に仕えた家臣で「徳川四天王」のひとりにも挙げられている戦国武将です。武田家の赤備え隊を引き継いだ猛将で、初代彦根藩の藩主でもあります。

徳川家に仕える以前は今川家の家臣でしたが、今川家とは関係があまり良くありませんでした。そんな今川家から謀反の疑いをかけられ、井伊直政の祖父と父は処刑されています。当主を亡くし断絶しそうだった井伊家を、井伊直政の養母「井伊直虎」(いいなおとら)が継ぎ、井伊家は存続。その後、井伊家は徳川家のもとに降り、井伊直政は小姓として徳川家康に仕えることになります。

徳川家康に仕えるようになってからは、本能寺の変による「伊賀越え」や「小牧・長久手の戦い」、「関ヶ原の戦い」などに参戦し、赤備えの甲冑とその勇猛な姿から「井伊の赤鬼」とまで喩えられるようになりました。

また、勇猛であると同時に徳川家康への忠義も篤く、公私共に徳川家康を支えたと言います。徳川家康も、文武両方に長けていた井伊直政を、最も信頼する重臣のひとりとして評価していました。

さらに、若い頃から美男子の呼び声も高く、「甫庵太閤記」(ほあんたいこうき)や「徳川実紀」(とくがわじっき)には「容顔美麗で、心根が優しく、徳川家康卿もよく信頼した」とあります。

他にも、徳川家康を従わせようとした豊臣秀吉が、自身の母・大政所(おおまんどころ:関白職の母親を尊称した呼び名。本名は[なか])を人質として徳川家康のもとへ送ったときのこと。大政所を接待したのが井伊直政で、そのイケメンぶりに大政所や侍女達が井伊直政に惚れ込んだとも伝わります。

2017年(平成29年)から放送されたNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」では、井伊直政役を俳優「菅田将暉」さんが演じたことで、イケメンのイメージが世間的に定着したとも言えるのではないでしょうか。

井伊直政のエピソードや関係する人物、戦い(合戦)をご紹介します。

宇喜多秀家

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宇喜多秀家

宇喜多秀家」(うきたひでいえ)は、備前国(現在の岡山県東南部)「岡山城」(岡山県北区)城主で、「戦国の梟雄」とも呼ばれる謀将の「宇喜多直家」(うきたなおいえ)の嫡男。

宇喜多直家は、1581年(天正9年)に中国遠征を進めていた織田軍を率いる豊臣秀吉に降ったものの、そのすぐあとに亡くなります。家督は嫡男である宇喜多秀家が継ぐ予定でしたが、幼少のため継ぐことができませんでした。そこで豊臣秀吉は、織田信長へ取りなして家督を継ぐ許可をもらっています。このように、幼い頃から宇喜多秀家は豊臣秀吉から目をかけられていたのです。

豊臣秀吉から可愛がられて育った宇喜多秀家は、暗殺や裏切りを得意とした父・宇喜多直家とは正反対で、幼少期から温厚な性格でした。宇喜多秀家の「秀」の字も、元服した折に豊臣秀吉から一字を貰い受けたものです。

さらに豊臣秀吉の養女「豪姫」(ごうひめ:実の父は前田利家)を正室として迎えるなど、外様でありながら破格の扱いを受けていました。

そして、宇喜多秀家の父・宇喜多直家は大変な美丈夫だったと伝わっています。宇喜多秀家もその美貌を引き継いだイケメンだったのです。

現在、残されている宇喜多秀家の肖像画を観ると、目が大きく、すっと通った鼻筋をしていることが分かります。宇喜多秀家が幼い頃、豊臣秀吉により織田信長に引き合わされた際、織田信長は「あの子はまことに涼やかである。よくよく大事にせよ」と豊臣秀吉に告げたと言います。

また、宇喜多秀家は正室の豪姫からも深く愛されていました。宇喜多秀家は関ヶ原の戦いで西軍側についており、敗戦したあとは徳川家康の命で八丈島(東京都八丈町)に配流となっています。このとき豪姫は、実家の前田家に戻っていましたが、生活に困らないよう毎年1回、米などの大量の物資を宇喜多秀家に送っていました。

豪姫は、その後も再婚することなく独り身で過ごしたということなので、どれほど宇喜多秀家を思っていたかが分かります。

こうしたことから宇喜多秀家は、性格の良さに加え、あまりにイケメンだったことから周囲が放っておけない魅力を持っていたのかもしれません。

宇喜多秀家のエピソードや関係する人物、戦い(合戦)をご紹介します。

小早川隆景

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小早川隆景

小早川隆景」(こばやかわたかかげ)は「毛利元就」(もうりもとなり)の三男で、優れた外交力で織田信長や豊臣秀吉とも渡り合った智将です。

同じく毛利元就の次男「吉川元春」(きっかわもとはる)と養子に出されたあとも、2人合わせて「毛利の両川」と呼ばれ、長男「毛利隆元」(もうりたかもと)を支えました。

毛利家の公式文書には、毛利元就の残した「三子教訓状」(さんしきょうくんじょう:別名を三矢の教え)というエピソードがあり、「兄弟3人で支え合い毛利家を安泰させなさい」ということが書かれています。

しかし毛利家当主であった毛利隆元は、若くして死去。その家督を継いだのはまだ10歳だった毛利隆元の長男「毛利輝元」(もうりてるもと)でした。このときも小早川隆景は三子教訓状を忘れず、次男・吉川元春と共に毛利輝元を補佐。小早川隆景は、実質的には毛利家の指導者だったと言われています。

そんな小早川隆景ですが、江戸時代の軍記物「陰徳太平記」(いんとくたいへいき)によると、眉目秀麗なイケメンだったとのこと。

「又四郎隆景は、容姿甚だ美なりしかば、義隆卿 男色の寵愛浅からずして」と書かれ、容姿が美しかったことで「大内義隆」(おおうちよしたか)から気に入られたとあります。

大内義隆は、中国地方を治めていた戦国武将で、毛利家は大内家に従属していました。しかし、1551年(天文20年)の「大寧寺の戦い」で、大内義隆は家臣の「陶隆房」(すえたかふさ)に討たれ大内家は滅亡。

その後、1555年(天文24年)、「厳島の戦い」で陶隆房が毛利元就に敗れ、毛利家は中国地方の覇権を握るようになりました。

小早川隆景のエピソードや関係する人物、戦い(合戦)をご紹介します。
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