忍者が使った日本刀と鎧

今や、日本のみならず全世界に広がっている「忍者」ブーム。ところで、忍者って何者?と聞かれたとき、皆さんはどのように答えるでしょうか。黒装束を身にまとった超人的な身体能力の持ち主?手裏剣を投げる人?それとも…?ここでは、超有名ですが、ふんわりとしたイメージがあるだけの忍者について、覆われているベールの内側を少しだけ覗いてみましょう。

まずは、ちょっとした豆知識から

「NINJA」(ニンジャ)は、今や世界の共通語。でも、その発祥や、実際にどんなことをやっていた人たちかと聞かれた場合、自信を持って答えられる人はそれほど多くないのではないでしょうか。

主に諜報活動(情報収集)を行なっていたとされる忍者の発祥については、何と「聖徳太子」(しょうとくたいし)の時代にまでさかのぼります。諜報活動のために「志能便」(しのび)という人々を使役していた、という説も…。もっとも、これについては、そのように語り継がれている地域があるという話で、確定的な物ではありません。

忍者の存在が文献などの記録文書に出てくるのは、室町時代。1487年(長享元年)に室町幕府9代将軍「足利義尚」(あしかがよしひさ)が、近江国(現在の滋賀県)の守護大名「六角高頼」(ろっかくたかより)を討伐するために遠征したときに対戦した、六角氏と「伊賀・甲賀連合軍」だと言われているのです。このとき、伊賀・甲賀連合軍は、得意としていた「ゲリラ戦」で幕府軍を大いに苦しめました。ゲリラ戦とは、奇襲で敵に損害を与えるなどの方法で、食糧などの補給路を脅かし、敵が態勢を整える前に姿を消すことで、敵の本格的な攻撃による打撃を免れること。この言葉の響きは、いかにも忍者という感じがしますね。

でも、ちょっと待った!伊賀・甲賀連合軍という言葉に違和感がありませんか?忍者を語る上で、常識のようになっているのが、忍者の2大流派「伊賀」「甲賀」の対立。そのため、何かにつけてお互いをライバル視し対立していたという、漠然としたイメージがありますよね?しかし、実際はそうではありません。実は仲が良かったと言われているのです。三重県の北西部に位置する伊賀と、滋賀県の南端に位置する甲賀は、山を隔てて隣接しており、直線距離にして約20~30kmの距離のご近所さんでした。

情報交換はもちろん、婚姻によって姻戚関係を結んでいたこともあると言われており、今で言うところの、大家族的な感じでしょうか。この両者のルーツをたどって行くと、「荘園」を巡る争いにたどり着くと言われています。人は共通項が多ければ親しくなれるというのは、本当なのかもしれませんね。

忍者が使っていた忍刀

それでは手始めに、忍者はどんな日本刀(刀剣)を使っていたのかというお題に踏み込んでみましょう。

忍刀

忍刀

諸説ありますが、「忍刀」(しのびがたな=忍者刀:にんじゃとう)とよばれる物を使っていたという説が有力。そう、忍者が背中に背負っている、あの日本刀(刀剣)です。よ~く思い出して下さい。あの日本刀(刀剣)はどんな形をしていましたか?確か真っ直ぐな刃だったような気が…。と言ったあなたは正解!

刀身に「反り」(そり:湾曲)があるのが「日本刀」(刀剣)の特徴ですが、忍刀の刀身は真っ直ぐだったと言われています。いわゆる「直刀」(ちょくとう)ですね。また、長さは背中に背負った忍刀を抜くことができるように、約54cmと少し短めでした。

そういえば、昔テレビでやっていた子どもの忍者を描いたアニメの決闘シーンでも、忍刀が使われていたような気が…。気になってしまったという方は、確認してみて下さい。

忍刀の特徴は、刀身がやや短く、真っ直ぐであることだけではありません。もうひとつの特徴として上げられるのが「鐔」(つば)。通常の日本刀(刀剣)の物と比べて、かなり変わっています。日本刀(刀剣)の鐔の役割は、使用したときに自分の日本刀(刀剣)で手を切らないためのストッパー。そして、日本刀(刀剣)を携帯する際に鐔が体に当たっても痛くないようにと、丸みを帯びたシルエットをしている物を思い浮かべる人が多いと思いますが、忍刀の場合は四角形!それも、四隅が尖った真四角に近い四角形をしているのです。そして、サイズも一般的な日本刀(刀剣)の鐔に比べてかなり大きめ。どうして、こんな鐔を作った理由については、忍刀を地面に突き立てて鐔を踏み台代わりにして、塀などを乗り越えたりするためだという説があります。

忍刀の凄いところは、これだけではありません。いかにも「忍びの人」が使いそうな仕掛けがところどころに施されているのです。

まずは刀身を収める「鞘」(さや)。基本的に黒塗りされていましたが、光を反射しないようにつや消し加工がされていました。やっぱり、闇に紛れて行動しているのに、鞘が光を反射して敵に見つかってしまうのはまずいですからね。また、鞘の先端の「鐺」(こじり)は鋭角に作られていましたが、これは、高い場所に上るときの足場にする際、地面に突き立てやすくするため。ここからさらに1歩進んで、鐺を取り外しができるようにすることで、薬などを入れられるようにしたツワモノもいたと言われています。

さらには、鞘をシュノーケルのようにして使えるよう加工することで、水中に身を隠せるようにしていた忍者がいたという説も。これが本当であれば、私たちのイメージに近い、ザ・忍者という感じですね。

忍者の身を守った鎖帷子

鎖帷子

鎖帷子

忍者の主な仕事は諜報活動だったというのは、すでにご紹介した通り。手裏剣を投げたり、戦ったりといった、いわゆる忍者的な活動をすることはほとんどなく、日常における忍者のいでたちは、地味そのものだったと言われています。いかにも忍者ですよ!という格好をしていたら、正体がバレバレで諜報活動どころではないですからね。

忍者の最大の仕事は、情報を集めて主君に報告すること。無事に自国の領土に戻ることこそが重要だったため、自分から戦いを仕掛けるということはほとんどありませんでした。それゆえ、忍術とされる物の大半は、自分の身を守る技術。そうは言っても、戦いを避けて通ることができないという場面もあります。そんな雰囲気を察知したとき、忍者はプロテクターのような物を「忍装束」(しのびしょうぞく=忍者スタイル)の下に着込んでいました。それが「鎖帷子」(くさりかたびら)です。

「帷子」(かたびら)とは、肌着として用いられていた裏地のない着物のこと。鎖帷子は、麻などの下地に細かく編まれた鎖を縫い付け、肌着のように着用した物。鉄や革などで制作された甲冑に比べると防御力は劣りますが、軽量であることと、制作が比較的容易である点においては優れていました。そのため、忍者に限らず、色々な人がこれを着用していたと言われているのです。

忍者以外で鎖帷子を着用していたとして知られているのは、有名なところでは「忠臣蔵」(ちゅうしんぐら)で有名な「赤穂浪士」(あこうろうし)や、幕末における「新撰組」(しんせんぐみ)など。日本刀(刀剣)による攻撃に対する防御に優れている点、甲冑(当世具足)に比べて身軽で目立たない点は、忍者向きの防具であると言えます。

ちなみに、忍装束については、いかにも忍者が着そうな黒色が選ばれることはほとんどありません。いかにも暗闇に紛れそうな黒ですが、暗闇では浮いて見えてしまい、かえって目立ってしまうためNG。そこで選ばれたのは、茶色っぽい色でした。特に月光が明るい夜は、茶色または柿渋色の忍装束を着用することで、周囲の景色に溶け込むことができたと言われています。