関鍛冶伝承館(関市)で刀剣の歴史を知る - 刀剣ワールド
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岐阜県関市には、「五箇伝」(ごかでん)のひとつの流派である「美濃伝」が誕生した地ということもあり、刃物関連の施設が多く存在します。その中でも、関における刀鍛冶の歴史や刀剣・日本刀の制作工程を学べるのが「関鍛冶伝承館」。 関鍛冶伝承館は、刀剣(日本刀)の展示や刀匠による刀剣(日本刀)の刀鍛冶の実演を観ることができる施設です。関市を代表する伝説の刀匠「兼定」や「兼元」の刀剣(日本刀)も観ることができます。刀剣(日本刀)ファンのみならず、刀剣(日本刀)に馴染みがないお子さんから年配の方まで楽しむことができるのが関鍛冶伝承館。そんな関鍛冶伝承館に行ってきましたので、魅力をお伝えします!
岐阜県関市 関鍛冶伝承館とは?
日本刀を学ぶ!
岐阜県関市は、「関孫六」(せきのまごろく)を筆頭に、日本でも屈指の刃物産業の町。また、刀剣・日本刀を代表する「五箇伝」のひとつ「美濃伝/関伝」(みのでん/せきでん)の発祥の地であり、実用性を重視して鍛えられていたことから「折れず、曲がらず、よく切れる」と言う刀剣・日本刀の代名詞を作ったのが「関物」でした。
今回訪れた「関鍛冶伝承館」は、名古屋から車でおよそ40分、関ICから関方面へ15分ほどの場所にあります。
入口から入って時計回りで館内を回っていくと、最初に関鍛冶について学べるビデオ展示が登場。刀剣・日本刀に詳しくない方にも分かりやすいナレーションで、関を代表する刀匠の紹介と、刀匠がどのように各地へ広がり、発展していったのかなどが学べます。
関鍛冶の歴史を学んだあとは、刀剣・日本刀に携わる職人について紹介するビデオ展示のコーナーへ。
刀剣・日本刀は、たったひとりの刀匠が作る物ではありません。「鍔」(つば)や「柄」(つか)、「鞘」(さや)、「鎺」(はばき)などの刀装(とうそう:日本刀[刀剣]を構成する部品)をすべて揃えることで、はじめて刀剣・日本刀と呼べるのです。
そして、各部位にはそれぞれ専門の職人が存在します。
研師

研師
「研師」(とぎし)は、焼きを入れた刀身を研ぐことを専門にする職人。20丁を超える砥石を用いて、刀身に最高の輝きを与えるのが研師です。
その作業工程は50にも及び、研ぎ具合により、刀匠が鍛えた刀剣・日本刀の出来が左右されるほど重要な役割を担っています。刀剣・日本刀独特の刃文や地鉄(じがね)の美しさを引き出すのが、研師の使命と言えるのです。
また、錆びてしまった刀剣・日本刀を作刀当時の姿に蘇らせる技術を有しているため、近年では、錆びてしまった刀剣・日本刀を当時の姿に戻すプロジェクトなどでも活躍しています。
こうした復元プロジェクトは各所で企画され、作刀当時の姿に戻った刀剣・日本刀を観るために、多くの刀剣女子や刀剣ファンが展覧会などに訪れるのです。
柄巻師

柄巻師
「柄巻師」(つかまきし)は、柄に装飾を施す専門の職人。刀剣・日本刀の柄は、近くで観るといかに精巧に形成されているかが分かります。
下地に使用される「鮫皮」(さめかわ)ひとつ取っても、世界にふたつと同じ物はありません。鮫皮は、名称に鮫(さめ)と入っていますがエイの皮のことです。エイの皮は、片面が粒状になっており、「親粒」(おやつぶ)という、ひと際大きな粒によってその価値が変わります。
上等な親粒を持った鮫皮の取引額は、刀剣・日本刀そのものよりも高値が付いたとも言われており、刀剣・日本刀の真価にも影響を与える重要な素材なのです。
鮫皮を覆ったあとに巻かれる紐には、「革緒」(かわお)や「組紐」(くみひも)が用いられます。このとき、しっかりと巻き締めないと刀剣・日本刀を振り下ろした際に手から滑り落ちてしまう他、柄の強度が下がるなどの不具合が出てくるため、柄巻は見た目の美しさだけではなく実用性もかねた装飾なのです。
鞘師

鞘師
「鞘師」(さやし)は、刀身を収めるための鞘を制作する職人。鞘は、ホコリや雨露から刀身を守るための保護具として使用されます。柄巻に使用される組紐などと色や素材を揃えることで、より一層刀剣・日本刀の美しさを引き立てるのです。
鞘の材料は、主に「朴の木」(ホオノキ)が用いられており、内側部分に「峰」(みね:刀身の部位で切り付けても切れない側)と「鎬」(しのぎ:刀身のうち、峰と刃の間の出っ張りがある部分)の形を彫り込んで作られます。
僅か数ミリのズレで刀身が納まらなくなることや、反対に隙間が開きすぎて滑り落ちてしまうこともあるため、職人は自身の経験則と確かな感覚を最大限活用して作業にあたるのです。
白銀師

鎺
「白銀師」(しろがねし)は、鎺の制作を行なう職人。鎺は、刀剣・日本刀の茎(なかご:柄に収める部分)と刀身の間に装着する金具で、柄と鞘を固定するための重要な刀装具です。素材に用いられる素材は、銅や金、銀などがあります。
作業工程をざっくり解説すると、素材を刀身に合う大きさに切り出し、加熱して引き伸ばし、刀身へ巻くようにして装着。そして、白銀師の腕の見せ所と言うべき紋様入れの作業を経て、完成です。なお、鞘の形成や鍔の装着は、すべてこの鎺を基準に行なわれるため、刀装具の中でも重要な役割を持っています。
上記の内容は、すべてビデオ展示されているため、文章で見るより分かりやすかったです。実物の展示もあるので、思わず食い入るように眺めてしまいました。
関鍛冶伝承館で蛍丸の展示が観られる!
館内には、鍔や小刀などの展示の他、実際に刀剣・日本刀がどれほどの重さだったのかを手に持って体感できるコーナーもあります。
そして、関鍛冶を代表する刀匠が手掛けた刀剣・日本刀の展示コーナーは、時期によって入れ替えをしているそうで、訪れるたびに新しい発見があります。
室町時代後期の関鍛冶を代表する刀匠「兼元」と「兼定」をはじめ、数々の重要刀剣はどれも必見。個人的に目玉展示だと思ったのは、「大太刀 蛍丸写し(影打)」!こちらは、「蛍丸伝説プロジェクト」により「福留房幸」(ふくどめふさゆき)刀匠と、「興梠房興」(こおろきふさおき)刀匠によって復元された刀剣・日本刀の影打です。太刀は太刀でも「大」が付くだけあり、驚くほど大きくて立派でした!
なお、大太刀 蛍丸写し(影打)は2019年(令和元年)9~10月の間、出張展示のため関鍛冶伝承館から一時的に姿を消しますのでご注意下さい。
また、展示室内では現役の刀匠が作刀した「現代刀」の展示もあります。作刀された年代によって茎の錆具合や刀身の輝きの違いを観察できるため、刀剣・日本刀ファンになってから日が浅く、「まだ知識も付いていないし楽しめないかも」と遠慮してしまっている方でも安心して楽しめますよ!
関鍛冶伝承館の2階には包丁なども展示!
関鍛冶伝承館は、2階にも展示室があるのですが、訪れた時期はちょうど改装中で入れませんでした。
ハサミや包丁などの刃物製品の他、国外のナイフ作家が制作した作品などを展示しているそうです!次回訪れるときの楽しみが増えました!
関鍛冶伝承館のイベント情報
毎月第1日曜日は「古代日本刀鍛錬」、「外装技能師実演」を公開!

鍛錬をする姿
毎月第1日曜日は、関鍛冶の刀匠による鍛錬と、各職人による作業の実演を観ることが可能!火花を散らせて「トンテンカン」とリズムよく鍛錬をする姿を生で観られる機会はそうそうありません。
また、白銀師や柄巻師などによる実演も必見です!真剣に作業をする様子に、思わず息を呑んで見守ってしまいます。
なお、開催時期は変更になることもありますので、最新の情報はSNS公式アカウントでご確認下さい!
不定期で「オリジナルペーパーナイフ」作りイベントも!
関鍛冶伝承館では、不定期ではありますが「ペーパーナイフ」を自作できるイベントも開催しています。
刀匠による指導の下で、叩いて削って、世界にひとつの、自分だけのペーパーナイフを作ることができるのです!
イケメンが舞い踊る!SEKI武将隊KUMOAGEHAの演舞
「SEKI武将隊KUMOAGEHA」は、関市で活躍する武将隊。岐阜県関市の公式謎解き観光アプリ「幻の名刀 雲揚羽 KUMOAGEHA を探せ」の登場人物達が現代に舞い降りて、関市を盛り上げています。いわゆる「2.5次元」のメンバーはいずれもイケメン揃いで、なかには麗人の姿も。
「幻の名刀を探す旅」という題材の演舞を披露しており、毎回大盛況!演舞の最後は、観客と共に「折れず曲がらずよく切れる!関の刃物は日本一!」と勝ち鬨(かちどき)を挙げて締めくくられます。
ちなみに「雲揚羽」(くもあげは)は、美濃国関大島(現在の岐阜県大垣市)出身の関藩主「大嶋雲八/大嶋光義」(おおしまうんぱち/みつよし)が、「織田信長」に献上するために関の刀匠に作刀させた刀剣・日本刀の名前のことです。
大嶋雲八は、60歳で武将として活躍を開始し、93歳で「関ヶ原の戦い」に出陣した伝説の武将!雲揚羽という名の由来は、大嶋家の家紋が「揚羽蝶」(あげはちょう)だったことから、大嶋雲八の「雲」を足して雲揚羽になったのです。なお、仕上がった雲揚羽は、織田信長へ献上する途中で起きた「本能寺の変」の騒乱に巻き込まれて、行方が分からなくなってしまいました。
観光アプリ・幻の名刀 雲揚羽 KUMOAGEHA を探せは、関市内の観光スポットを巡りながら雲揚羽を探すという主旨のゲームとなっていますので、関市観光のガイドブックとしてプレーするのも面白いです!
SEKI武将隊KUMOAGEHAは、古代日本刀鍛錬イベントと同日に出陣することが多いため、ぜひ一緒にご覧下さい!