162_甲冑の名前を読み解こう

美術館や博物館で展示されている甲冑を観るとき、あまりの名前の長さや難解さに驚いた経験はないでしょうか。名前の意味が少しでも分かるようになれば、今よりもずっと甲冑についての知識が身につき、歴史に対する見方も変化するきっかけとなるかもしれません。甲冑の歴史と合わせて、名前の読み解き方についてご紹介していきます。

甲冑の歴史

甲冑の誕生はとても古く、各地の遺跡から弥生時代の物とみられる鎧の断片などが見付かっています。

静岡県「伊場遺跡」では木製の鎧が見付かっており、岡山県「南方遺跡」からも鎧の一部が出土。 さらに時代が進んだ古墳時代頃には大和朝廷による支配体制が整い、甲冑は中国・朝鮮半島の影響を受けた「短甲」(たんこう)や「挂甲」(けいこう)が誕生しました。これらはのちの甲冑作りのベースにもなり、色々な形へと進化していきます。

武士が台頭するようになった平安時代には、日本独自の甲冑である「大鎧」(おおよろい)が誕生。騎馬による弓矢が戦のメインとなったことから、大鎧は騎馬戦に適した機能性と優美さをかね備えたデザインをしていました。

その後、鎌倉時代に「胴丸」(どうまる)が主流となり、さらに南北朝時代・室町時代には身軽で実用性の高い「腹巻」(はらまき)と「腹当」(はらあて)が生まれます。

戦国時代には、より身軽で丈夫な「当世具足」(とうせいぐそく)が登場。当世具足が生まれた時代は、異国との貿易が盛んに行われていたころから、甲冑に使用する朱漆(しゅうるし)を作るための鉱物が安く手に入るようになります。

また、金山・銀山ではそれぞれ金・銀の採掘量が増え、それらをふんだんに甲冑にも活用することができるようになりました。

各地で戦が増え、全国的に甲冑の需要が上がったこともあり、自由なデザインと武将達の個性を取り入れた甲冑が作られるようになったのです。

甲冑の名前を読み解いてみよう

実際に、甲冑の名前にどんな意味があるのか、読み解いていきましょう。

赤糸威大鎧(竹虎雀飾)

162_赤糸威大鎧(竹虎雀飾)
赤糸威大鎧(竹虎雀飾)

「赤糸威大鎧(竹虎雀飾)」(あかいとおどしおおよろい たけとらすずめかざり)は、「春日大社」(奈良県奈良市春日野町)が所蔵している国宝の大鎧。鎌倉時代に作られた貴重な品で、気品のある鮮やかな赤色が特徴です。

名称は「赤糸威/大鎧/(竹虎雀飾)」というように単語を区切ります。まずは、名称の頭に付いている「赤糸威」から解説していきましょう。

「赤糸」は大鎧のパーツを繋ぐ赤い紐のことを指し、「縅」は紐などで小札(こざね)同士を結び合わせることを言います。小札は小さな革や鉄の板でできており、これらを紐で縅すことで、大袖草摺などを仕立てることができるのです。

次に、大鎧は主に平安時代から鎌倉時代に制作された甲冑のことです。最後の「竹虎雀飾」ですが、こうした植物や動物の名前が使用されている場合は、それを模したモチーフが作り込まれていることが多いです。

本甲冑の竹虎雀のモチーフは、大袖に細かな金物細工が施されています。大袖中央には虎と、下方には雀が飛び回る様子をかたどった繊細な細工です。

また名称には入っていませんが、兜鉢(かぶとのはち)の正面や吹返には、金物細工の雀が計96羽も隙間なく施されています。赤糸威大鎧(竹虎雀飾)は、日本の伝統工芸を集約していることから、現存する甲冑の中では「日本一豪華」だと言われる逸品です。

銀伊予札白糸素懸威胴丸具足

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銀伊予札白糸素懸威胴丸具足

「銀伊予札白糸素懸威胴丸具足」(ぎんいよざねしろいとすがけおどしどうまるぐそく)は、安土桃山時代の具足です。

豊臣秀吉」が持っていた1領でしたが、「伊達政宗」(だてまさむね)が豊臣秀吉より拝領したと伝わる品で、現在は「仙台市博物館」(宮城県仙台市青葉区)が所蔵しています。豪華なデザインをしていることから、派手好みだった豊臣秀吉が持っていたというのは納得です。

まず単語の区切り方は「銀/伊予札/白糸素懸威/胴丸/具足」のようになります。名前の1番最初に付く「銀」は、各部に銀箔が施されていたため銀と付けられました。

しかし現在は、ほとんどが取れたか、錆びたかしてしまい銀色であったことは分からなくなっています。

次に「伊予札」(いよざね)ですが、これは小札の種類のことであり、考案されたのは南北朝時代です。小札の種類には伊予札と本小札があり、本小札は二重に重ねるのに対して、伊予札は重なりが浅いことから、少ない枚数で作ることができます。

続いて「白糸素懸威」の「白糸」部分は、縅に使用されている紐の色のことです。この「素懸縅」(すがけおどし)とは、小札を1枚1枚つなげるのではなく、まばらに結び合わせる技法を言います。素懸縅が考案されたのも南北朝時代と言われ、伊予札に合う結び方として普及しました。

素懸縅の以前によく使用されていたのが、毛引縅(けびきおどし)です。毛引縅は、素懸縅とは違い間隔を空けずに細かく結び合わせました。

胴丸は、平安時代に誕生した胴で、徒歩で戦う下級武士が使用した胴です。身軽で着脱が簡便だったことから、時代が進むにつれて大将級の武士達も着用するようになりました。

最後の「具足」は、戦国時代に誕生した甲冑様式の当世具足のことであり、「当世」には「現代風の」といった意味があります。

名称には入っていないのですが、一番目を惹く兜鉢には、軍配形の前立(まえだて)と後立(うしろだて)。そして黒い熊毛を植え、兜鉢下方にはヤク(インド北西部やチベットなどに分布したウシ科の動物)の毛回しが付いています。

銀伊予札白糸素懸威胴丸具足は、豊かな発想により生まれた「変わり兜」のひとつであり、どのパーツも丹念に仕上げられた名品。一見すると派手にも見えますが、白で統一され色彩のバランスが整った美しい甲冑とも言えます。

まとめ

ここまで読んでみて、漢字がずらりと並ぶだけで何を意味するのか分からなかった甲冑が、身近に感じられるようになったのではないでしょうか。

読み解いていくと分かるのは、漢字のすべてが甲冑の作りや意匠などを示していて、無駄がないということです。

また、甲冑の名前と合わせて、作られた時代や持ち主について調べていくと、より深い発見があるかもしれません。ぜひ、多くの美術館や博物館に足を運ぶきっかけになればと思います。

【関連サイト】
甲冑・武具用語集 伊達政宗 豊臣秀吉 春日大社